Properum viridisum  担当者:あやにょ 040510

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「おっ……と」
 佳瑠は、開け放された窓からの風に乗って部屋の奥へ飛んできた一枚の紙を捕まえた。風は佳瑠の長い黒髪を一房ふわりと舞い上げて去っていく。
「あ、佳瑠さん、ありがとうございます。急に風が吹き込んできて……」
 窓際の机に向かっていたゼイルがこちらを向いて微笑んだ。佳瑠は歩み寄ってその紙を渡す。茶色の髪の青年は何やら書き物をしていたらしく、羽根ペンを手にしたままである。
 早春の午後。午前中土砂降りに降っていた雨は止んでさわやかな光が射しているが、ゼイルは建築作業は無理だと言って、さっきまでいろいろと家の中でできる仕事をしていたはずだ。
「ええ。台所は片づけたし家中の掃除もしたし、家の設計図の見直しもしてしまったし、道具の手入れも終わってしまったし、暇になったものですから」
 ついでに言うなら家主であるリィネとその弟(ということになっているらしい召喚獣)は村の中心部へ買い物に出かけて不在である。
「何を書いておられた?」
「敬語はやめてくださいよ」
 なぜかこの黒髪の男は周囲に対してやたらと丁寧な口調で話すことが多い。特にゼイルに対してその傾向が強く、ときおり何故か敬語になる。ゼイルが何度やめてほしいと言ってもたいして変わらなかったのだが、一応もう一度言ってみる。佳瑠は言われるたびに困っているようだったが、あまり表情には表れなかった。ただ、不自然に沈黙するので困ったことがわかるのだ。案の定、今回も男が黙ってしまったので、ゼイルは苦笑した。
「まあ、もう慣れてきてしまいましたけど」
 そう言って羽根ペンを置くと、軽く背伸びをした。後ろで一つにまとめられた茶色の長い髪が揺れる。
 佳瑠が短く言葉を発した。
「……それで?」
「ああ、何を書いていたか、でしたっけ」
 話せば長くなりますが、と青年は笑顔で先程の紙を佳瑠に手渡してきた。
 男はその紙面に綴られた文字に目を落とした。ゼイルの柔らかな字体はとても読みやすい。だが、佳瑠は一瞬、そこに何が書かれてあるのかよくわからなかった。佳瑠はこちらの文字も普通に読み書きすることができるのだから、読めないというわけではない。ただ、あまりに意外な内容で、いわば不意打ちをうけたようなものだったのである。
 佳瑠は目を瞬かせて、もう一度まじまじとそれを見た。


モームル目モームル科
学名 Properum viridisum
産地 大陸北部
分布 大陸中央部以北
生息場所 森林地帯



「……これは?」
 しばし声もなく立ちつくしていた佳瑠が最初に何とか口にできたのはその一言だった。それに対してゼイルの返答はあっさりしている。
「見ての通り、モームル虫についてのメモですけど」
 それはわかる。佳瑠は言葉をかえた。
「何故こんなものを?」
「にょろさんが、いつもモームル虫の料理は残すでしょう」
 ゼイルの言葉に佳瑠は食事時の召喚獣の様子を思い起こした。モームル虫ばかりとは限らないが、たしかに残している。そのたびにリィネが「ちゃんと食べなきゃだめだよ」と言ってはいるが、何のかんの言ってモームル虫だけは残しているようである。
 佳瑠は頷いて、ゼイルに先を促した。
「それで?」
「いろいろ調理方法を工夫してるんですけど、どうもモームル虫が嫌いなようなんですよね」
「まあ、誰にでも好かれる愛らしい外見とは言えないだろうな」
 佳瑠はモームル虫の見た目を思い出しながら言った。緑色の団子の連なりに脚と触覚がにょきにょき生えたようなあの肢体は、あまり好む者が多いとも思えない。
「それに、あの味は大人向けだと思うが」
 つまり、モームル虫には苦みがあり、子どもが好きな味とは言い難いということだ。ゼイルは佳瑠の言葉に頷いた。
「それはわかります。たしかに見た目はあまり可愛くはないし、カラッと素揚げにしたのとかはお酒のおつまみにちょうどいいですしね。でも、栄養たっぷりな食材だから、ちゃんと食べてもらえないかなあと思って。好き嫌いはよくありませんし」
「それで?」
「それで、食べてもらうためには調理する人、つまり僕がちゃんと食材のことを知っていなきゃいけないと思って、実はちょっと前から勉強していたんです」
 家作りでもそうだが、妙なところにこだわりを見せる青年である。
 よくよく見れば、机の上には昆虫図鑑や百科事典のモームル虫の項が広げてあり、机の横の壁には六大栄養素の図や栄養表が貼り付けられていた。
「調べたらけっこう面白いんですよ」
 そう言って、ゼイルは別の紙片を佳瑠に手渡す。図鑑や事典の記述を自分なりにまとめ直したものらしい。


『大陸中央部以北の森林地帯に生息。とくにゲシゲスの樹のうろに巣を作ることが多い。日中は主に木の上のほうや根元に潜むのが一般的だが、地域によっては日中も活発に活動するようである。雌雄の区別は素人には見分けにくいが、雌の方が丸みのある身体をしている』


「やはり一応は雌雄の別があったのか」
 佳瑠は呟いた。どれも同じだと思うところだった。
「南部にはいないんですね。温かいところが好きみたいですけど、南部は暑すぎるんでしょうか」
 南部ではゆでたのとか揚げたのとかが袋詰めで出回ってましたけどね、とゼイルは付け足す。
「あ、ってことは僕、南部にいたこともあるんでしょうか」
 首を傾げ、『南部にいたこともあるかもしれない』とゼイルは別の紙片に書き留めた。どうやら記憶を無くす前の自分のことにつながりそうな事柄はなんでもメモしているようだ。
「まあ、それはいいとして」
 次の紙片を差し出してきたので佳瑠は受け取る。


『雌は秋口に樹の根元の地中に卵を産み付ける。卵は薄い黄緑色で直径0.1ミグレーザ(ミリメートル)前後。一匹の雌が一秋に平均三十個ほどを生むが、まとめて生むことはなく、一個ずつ別の場所に産み付ける。一年の雌伏期間を経て夏に孵る』


「0.1ミグレーザなんてすごく小さいですよね。あの森の中を歩いてきたら靴の裏についた土にくっついてたりして、あはは」
 ゼイルの言葉に佳瑠はただ頷く。
「孵るまでに一年もかかるのだな」
「孵ったら孵ったで、緑色をしているのかと思ったら違うんですよ」
 次の紙片が手渡された。佳瑠は無感情にそれを読む。


『幼虫はつややかな白色をしている。幼虫は広葉樹・針葉樹の朽木部分や、地中の倒木に見られる。幼虫時には木につく害虫を好んで食べて育つため、林業関係者には益虫として知られる。幼虫は大陸北部のとある地域では珍味として珍重され、比較的高額で取り引きされる。蛹室は倒木から脱出し土中に作る。なお、蛹の状態では食用に適さない』


「幼虫が珍味だなんて知りませんでした。幼虫は食べたことないんです」
 ということは北部のそのあたりには僕は住んだことがないか、居たことがあっても珍味を食べられるようなお金持ちではなかったということでしょうか。
 ゼイルはそう呟くと、やはりこれも書き留めた。羽根ペンを動かしながら言う。
「百科事典で幼虫の調理の仕方を見つけましたから、今度幼虫を見つけたら作ってみますね。ケナケナの菜っ葉と牡蠣油で炒め物にするといいらしいですよ。やっぱりお酒に合うみたいです」
「それは楽しみ」
 と返した佳瑠の手に最後の紙片が渡された。その最初の一行。


『夏に成虫になり、学名の由来となっている緑色の美しい身体を現す』


(美しい、のか……)
 見る者の主観によってはそう思えるのかもしれない。そう考えるに佳瑠は留めた。
「学名にあるviridisっていうのが“緑色の”っていう意味らしいですね。それに中性を示す語尾がくっついているみたいです」
 現在は使われていない古い古い言葉だ。佳瑠たちでさえ使っていない文字と言葉だが、一応現在でも伝わっており、学者たちが様々な生物を表すのに使っている。すらすらと説明する青年に、佳瑠は感心した。
「ゼイル殿は博識だな」
「そんなことはないですよ。百科事典に載っていたんです。受け売りですね」
 二人は再び紙片に視線を落とした。


『六本の脚と黄色の触覚を持ち、目は複眼である。成虫は樹液を主食とするが、甘い果物類を特に好む。成虫は樹のうろに巣を作り、集団で過ごす。そこには上下関係はないようである。成虫は幼虫同様タンパク質に富み、薬用・食用に供されることもある。味は独特の苦みがあるが、熱を通すことによって軽減される。成虫になってから五年ほど越冬する。長生きするものは七年ほど生きる。冬は集団で巣にこもって冬眠をすることが多い』


「ああ、そういえばこのあいだ、冬眠から覚めてしまったモームル虫が一斉にリンゴにたかって少年が悲鳴を上げていたな」
「ああいう甘いのが好きみたいですね。リンゴの保存に気をつけないと」
 それよりもモームル虫の保存に気をつけた方が少年のためではないかと佳瑠は思ったが、リンゴを隔離してもモームル虫を隔離してもリンゴが守られることには違いがないので特に指摘しなかった。
「でも……」
 全部読み終わった佳瑠の前で、ゼイルは溜め息をつく。
「僕もすごく勉強しましたけど、本当は、食べる人、つまりにょろさんが食材を好きにならないといけないと思うんですよ」
「それはそうだろうな」
 佳瑠の相づちに力を得たか、ゼイルは拳をぐっと握りしめた。
「何かを好きになるには、その対象についてよく知ることが一番いいですよね」
「……それはそうかもしれないが」
 佳瑠はぽつりと言った。
「これを読ませたら少年は泣いてしまうのではないか?」
 ゼイルはきょとんとした。
「そうですか?」
 佳瑠は頷いた。それはそうだろう。嫌いな虫の説明を読まされて楽しい者はいないだろうし、ましてあの少年はまだまだ幼い。
「まあ、このままじゃ難しい表現も多くてにょろさんには読めないですよね。そういう意味ではたしかに泣いてしまうかもしれないですね」
 自分が考えていたのはそういう意味ではないが、泣いてしまうだろうという点については同意が得られたので佳瑠は聞き流すことにした。
 すると、
「難しいってことはわかっていたので、にょろさんにも分かりやすいように絵本を作ってあげようと思って……前々から絵は描いてたんですけど、今日文章を清書して、さっき完成したところなんですよ」
 ゼイルは、机の上に置いてあった、画用紙を絵本状に綴じたものを取り上げて佳瑠にニコニコと差し出す。その表紙にはこうあった。

『もーむるぼうやのだいぼうけん』

 どうやら先程までの書き物は、この絵本に文章を書き入れていたものらしい。
 表題の下には、デフォルメされてキラキラな瞳と妙な愛嬌のある黄色い触覚のモームル虫がご丁寧に描かれている。どうやら絵もゼイル自身が描いたらしく、右下に小さく『ぶん と え ぜいる』と書いてあった。この青年、絵心もそれなりにあるらしい。
「0.1ミグレーザの卵でひとりぼっち土の中に埋まっていたモームル虫が成長していく物語なんです」
「……それにしてはこの絵本、ずいぶん分厚いようだが?」
 さっきまで読んできた堅苦しい説明をどんなに砕いても、画用紙百枚は必要ないだろう。
 そう言うと、ゼイルは笑みを浮かべた。
「だって、ただ一生を追うだけじゃつまらないでしょう。物語として子どもの気を惹くように面白くしないと」
「なるほど、たしかにそうだな」
 佳瑠は納得した。それでも画用紙が約百枚。表裏使って約二百ページ。いったいどんな話になっているのだろう。
 興味を示した佳瑠に、ゼイルは「よくぞ聞いてくれました」とばかりににっこりと笑って、問いを投げかけてきた。
「子どもが面白がる物語って、どんなものだと思います?」
「さあ……? 私はあまりそういう方面に詳しくないのでわからないが」
「題名にもしたんですけど、僕は冒険が一番だと思うんです」
 ふむ、と佳瑠は相づちを打った。そういえば、芙宇も冒険の話を好んでいた。羅威は豆腐を好んでいた……それはどうでもよい。『世界の常識』とかいう本を好んで読んでいたようだが彼自身には常識が欠けている。困ったことだが、それも今はとりあえずどうでもよい。
「ということは、卵から孵ったモームルの幼虫が様々な苦難に遭いながらも切り抜けて強く生きていく話なのだな」
 昔読んだことのある冒険小説を脳裏で反芻しながら言うと、「まあ、だいたいの筋書きはそうなんですけど」とゼイルは言った。
「でも、それだけでは意外性がなくてイマイチなので、いろいろと工夫してみました」
「ほう」
「村の人たちが長い間撒き続けていた除草剤と化学肥料の影響で、成虫になったモームル虫の身体がおかしくなってしまうんです」
 人間社会の在り方に警鐘を鳴らす問題作の一面も持たせてみました、とゼイルは軽く言う。口調がとてもほがらかだ。
 なんだか暗い話だが、そんなものを子どもに読ませて良いのだろうか。この違和感は大陸とあちらの常識の違いからくるものなのだろうか、と佳瑠は困惑した。教育的には後々よいのかもしれないが……。
 ゼイルは続ける。
「痛みに耐えかねたモームル虫はとうとう」
「死ぬのか?」
 佳瑠の安直な予想をゼイルは否定した。
「いいえ、ある日突然巨大化してしまうんです」
「……は?」
 常ならぬ呆然とした体で聞き返した黒髪の男に、青年は繰り返した。
「巨大化です。やっぱり突然変異って自然のロマンですよね」
 青年はパラパラと自作の絵本をめくり、あるページを示した。そこには、大きな街の街並みよりもなお大きなデフォルメされたモームル虫の絵が描かれていた。
 これがロマンなのだろうか。そもそもこんな巨大化が突然変異で可能なのだろうか。というかそれは突然変異なのだろうか。いや、あくまでこれはフィクションだ。子どもの想像力を刺激することは悪いことではないだろう。多分。佳瑠はそう結論づけてみた。
「……それでどうなる?」
「ええと、神殿の勇者さん……あ、これは魔法神官と武法神官と両方いるんですけど、それから理法神官さんと治療師さんと町の居酒屋の板前さんと」
 おい待て、どうして最後は板前なんだ、それに治療師までは神殿関係者なのにどうして板前だけが一般人なんだしかも高級料亭とかではなくて居酒屋か。佳瑠の脳裏をそんな思いが一瞬のうちに駆けめぐったが、ゼイルの話が続いていたので口に出せなかった。
「その5人がその巨大モームル虫と対決するんです」
「……対決」
 唖然とその言葉を復唱する佳瑠に、ゼイルは意気込んで言った。
「ええ。やっぱり子どもの好きそうな話で巨大化と言ったら戦隊ものですよね!」
 ですよね! と満面の笑顔で同意を求められても佳瑠にはよくわからない。
「それで、戦隊ものと言ったらやっぱり五人とも色分けしなきゃ、ということで、ほら、ちゃんと色を塗り分けたんですよ」
 ゼイルはあるページを広げた。妙に可愛くなっている巨大モームル虫(どうやら街を破壊しているところらしい)のシルエットを遠景に、手前で全身タイツにも似たコスチュームの五人がオレンジ色のマフラーをなびかせて何やらおかしなポーズを取っている。ゼイルの言によれば、どうやらこれは決めポーズらしい。食物連鎖を暗喩しているというポーズをとる彼らの下には『食物戦隊グルメンジャー』と書いてあった。とても神殿と関係ありそうには思えないネーミングである。
「……白と赤が二人ずついるような気がするのだが、私の目が悪いのだろうか?」
 目を閉じて眉間を揉みながら佳瑠は尋ねた。五人の色は左から白、赤、緑、赤、白となっているのだ。
「白と赤は二人ずつなんです」
「色分けしたことにならないではないか」
「しかたないんですよ。治療師さんも板前さんも基本は白い服でしょう」
「それはそうかもしれないが」
「一応、治療師さんは治療師の帽子をかぶってて、板前さんはコック帽なんですよ。それに武器も違うんです。治療師さんはメスと鉗子を持ってて板前さんは包丁なんです。違いをわかりやすくするために蕎麦切り包丁なんですけど。あ、あと治療師さんは女性で板前さんは男性です」
 たしかによくよく見れば違いがあるが、そんなところに違いを持たせても。いや、違いがあるだけマシなのか。
「……では、赤の二人は?」
 赤い全身タイツの二人には、あまり違いがあるようには見えない。
「赤と言ったらチームリーダーの色なんですけど、魔法神官も武法神官も自分がリーダーだって言って譲らなさそうですから、これもしかたなく。こちらは武器の違いはそんなにないですね。二人とも剣を持ってますし……でも一応、魔法神官の方は細身の剣にしてみました。それに下描きの時点では武法神官の方はけっこう筋肉質に描いてたんですよ。色を塗ったら両方とも見た目がほとんど同じになってましたけど」
 それでいいのか、勇者たちのアイデンティティと食物戦隊グルメンジャー。
「では、この緑は理法神官か」
 結果としてリーダーの場所たる中心に位置し、両腕を左右に伸ばして片足立ちしている緑色の全身タイツを佳瑠は指さした。
「ええ」
「緑色なのには何か理由が?」
「はい。本当は理法神官の基本色も白なんですけど、物語の進行上の理由で緑にしたんです」
「どういう理由か聞いてもよいか?」
「巨大モームルと食物戦隊は敵同士ですけど、単に善と悪みたいな二項対立で敵味方に分けたんじゃつまらないでしょう。だから、ちょっと工夫を」
「……?」
「実はですね、この緑の服を見てモームル虫がこの理法神官を自分のお母さんだと思ってしまうわけですよ」
 その瞬間、佳瑠の脳裏に巨大なモームル虫の顔が自分に向かって頭上から迫ってくる光景が浮かんでしまった。
「それはさすがに怖いな」
 佳瑠が軽く身震いしかけたところにゼイルの一言。
「そうですね。お母さんっていっても、この理法神官さんは男ですからね」
 いや、お母さんと思われてしまった理法神官が実は男だとか女だとかそういうところが問題なのではないと思うのだが。
 その間にもゼイルのあらすじ解説は続いている。
「モームル虫は好きで巨大化したわけじゃないのに、って泣きながら訴えるんです。最初は理法神官、あ、緑のアンバーって名前なんですけど、当然ながらモームル虫の言ってることがわからないんですよ。それで、そうそう、ここにまた別の登場人物が出てきてですね」
「どんな人物だ?」
 佳瑠の問いに、ゼイルは重々しく口を開いた。
「……これは偏見かもしれませんが、冒険ものには魔法が登場すべきだと思うんですよ」
「そうなのか?」
「剣と魔法の冒険物語っていうくらいですからね」
 そういえばそういう言い回しを聞いたことがあるような気がする。頷きかけた佳瑠だったが、ふと疑問を抱いた。
「だが、この作中にはすでに魔法神官がいるではないか」
 そう言って全身赤タイツ(剣が細い方)を指さす。
「ええ、赤のアッキーですね。ですけどこれ、男ですからね。村の本屋さんでいろいろ調べたんですけど、子ども向けのお話って魔法使いは可愛い女の子と相場が決まっているみたいなんですよ。……だから目先を変えたくて男の魔法神官にしたんですけど、戦隊の一員になってしまっていますから、別の人物が欲しくて……」
 ゼイルはパラパラと絵本をめくった。
「モームル虫と緑のアンバーの間に通訳が必要だったので、それなら、と思って」
 そして佳瑠の目の前に顕わになった登場人物は、

『美少女召喚士リィノ』

「……これのモデルはリィネ殿か?」
 茶色の髪とどんぐりまなこ。それにこの顔立ち。似ている。
「ええ、実際にはリィネさんは召喚士じゃないですけど、身近な人物が物語の中にいるとにょろさんの引き込まれ方が違うかな、と思って」
 佳瑠は自分でも気付かぬうちに小さく呻いていた。ゼイルがリィネのことに気付いていないのはいいとしても、何か間違っている気がする。ゼイルの言っていることは真っ当のように思われるのだが、何かがおかしい気がするのは何故だろうか。
 絵本の中で『美少女召喚士リィノ』はピンク色のひらひらしたドレスをまとい、ピンクを基調としてピカピカ光るおかしな形の杖を振り回していた。
「自然に代わっておしおきするよ〜、っていうのが決め台詞なんです」
 大丈夫か著作権。
「そして、その魔法少女のおかげで緑の理法神官のお兄さんがそのモームルの気持ちを理解して、他の隊員を止めたりしてみるんですが、最後にはモームル虫が空を飛ぶわ地中を潜るわ海を割るわ火山を噴火させるわもう大暴れ。緑のアンバーは仕方なく泣きながら他の隊員と力を合わせてモームル虫をやっつけるわけです。あ、もちろん最後は巨大な合体機械も登場しますよ。なかなか含蓄があるでしょう。愛と血と汗と涙ですよね」
 どういう話だ。
「最後にはそのモームルをみんなで料理しておいしくいただくんです。調理法もわかりやすく描いたから、読みながら覚えられると思うんですけど」
 ゼイルが開いたページでは、全身白タイツ姿の板前(名前はコクーというらしい)が「大きいから料理のしがいがあるぜ! 見てろよみんな、俺の雄姿を!」などと叫びながらさまざまな料理道具を縦横無尽に振るってモームルを料理している場面が描かれていた。次のページからはレシピが要所を押さえて懇切丁寧に絵にされている。板前コクーのワンポイントレッスン付きだ。ついでに全身白タイツ姿の治療師の方(こちらの名前はシラーというらしい)はコクーに対抗してモームルの薬効を説明し、あまった材料で薬を作って、負傷した全身赤タイツの二人組に飲ませていた。
 今になって気付いたが、ページの左右の余白部分にはモームル虫についての豆知識がとても小さな文字で書かれていた。どうやら全ページに何かしら書かれているらしい。マメなことだ。
 そして最後の見開きページでは、にょろとリィネ、ゼイルと佳瑠の四人がおいしそうにモームル料理を食べており、裏表紙は空っぽになったお皿の絵。
「特別付録としてモームル虫育成キットもつけますし、これならにょろさんもモームル虫についてよく分かってくれると思うんです」
 夕刻が近づいてきていた。
 遠くでカラスの鳴く声が聞こえる。
「……佳瑠さん?」
 呼びかけられた男はハッと我に返ると、気付かれない程度に小さく溜息をついた。
 他のいろいろなことも分かりそうだし、いろいろなことに嫌気がさしそうでもある。そう思ったが、モームル虫について懇切丁寧に分かりやすく書かれているのはたしかだったので、佳瑠はただ「そうだな」と頷いたのだった。幾ばくかの疲労感とともに。



 その後、絵本は特別付録とともに可愛い包装紙とリボンでラッピングされた。リィネと一緒に帰宅したにょろは思わぬ贈り物に喜んでその包みを受け取ったが、包装紙を剥いて悲鳴をあげたことは言うまでもない。


おわり。





おまけ。

 夕食後、にょろが放り出してしまった絵本をリィネが読んでいた(育成キットはゼイルの所持品となった)。ふんふんふむふむと読み進めていた彼女は、ふと首を傾げた。居候に声をかける。
「ねえ、ゼイル君。この絵本の最後なんだけど」
「はい?」
「除草剤の影響で大きくなったモームル虫を食べて大丈夫だったのかなあ?」
 はた、とゼイルの洗濯物を畳む手が止まった。ややあって、
「……うーん、所詮は作り話ですからねえ」
「そっかー。そうだよね。きっとこのあとちょっとお腹壊すくらいだよね」
「そうだといいですね」
「ま、農薬とかで汚染された食べ物はあまり食べない方がいいってことだよね」
「そういうことですね」
「そうだねー」
 あはははは、と軽やかに笑うリィネとゼイルを見て、にょろと佳瑠はそれぞれの立場で小さく溜め息をついた。
「にょろ、本当に面白いよこれ。見るのがイヤなら読み聞かせてあげようか?」
『もっと嫌だよ、そんなの!!』
 夜の静寂に幼い少年の悲鳴混じりの叫びが響き渡った。


追記。
 モームルの生態とか学名とかはでっち上げです。生物図鑑とかラテン語辞典とかで調べたりしないように。