第二話『語られたのは』 担当者:えいちけいあある。戻る。 |
勇者リィネは一戸建てに住んでいる。木造平屋、窓の外は森。村の外れの、小さなかわいい造りのお家である。さまよった旅人が一番始めに目にする、柔らかな暖炉の灯り。 彼女の家は、そういう存在だった。 「起きないねぇ」 リィネは、ソファの傍らにしゃがみ、昨夜から眠り続けている男の顔を覗きこんだ。 夜が明けて数時間が過ぎていた。休日のぐうたらなお父さんでもそろそろ活動しだすだろう、という時刻である。 『死んでるんじゃない?』 そう言ってにょろは男の頬をぺちぺち叩いた。うーん、と男がうめく。 『…生きてるね』 何故かつまらなそうににょろは呟いた。 「そうね。でもやっぱり起きないみたい」 リィネはもう一度男を眺めた。 (病気? それなら教会に連れて行かないといけないけど…) そう思いつつも、気が進まない。できることなら教会と関わることは避けたかった。 それに、彼には外傷もなく、熱があるわけでもない。ただ彼はひたすらすやすやと安らかな寝息を立てている。 「…疲れてるのかな? …っと、そうだ」 リィネは突然立ち上がった。大きな瞳が、きらきらと輝いている。 「い〜こと思いついた〜。た〜めしてみよ〜」 にょろは小さく溜息をついた。 (…どうせろくなことじゃないよ…) 心の中で、そう一言。 『…何を思いついたの?』 高度を増した太陽が、凍てついた空気を融かし始めた、同じ頃。 長い長い廊下を、真っ直ぐに進む人影があった。白い壁には奇妙な紋様が描かれ、すれ違う者は皆、彼のものと同じような白の長衣を身に纏っている。白の長衣。神官の衣装である。神官たちが大勢居る場所。ここは神殿と呼ばれる建物の中だった。 神殿は大陸の東西南北と中央に一つずつ、合計五つあり、各エリアの教会を統べることを主な役割としている。その中のひとつ、『中央神殿』にて。 彼は目的地である神殿の最深部へ辿り着いた。 突き当たりの扉を、きぃ、と開くと、部屋の奥で話し込んでいた三人の男が振り返った。 「待ちかねたぞ、アルカス・ヴィラード」 その内の一人が言った。一人だけ衣装に金の縁取りがされているところから、おそらく高位の身分なのだろうと推測できる。 「申し訳ありません」 アルカスと呼ばれた青年は、金に輝く茶髪の頭を下げた。鋭いまなざしが印象的で、なかなかの美形である。しかし、彼にはもっと人目を引く特徴があった。 額に刻まれた『炎』の紋章。真っ先に目が向くのはそれである。これだけで、彼が『炎』系神聖魔法の使い手であることがわかる。 だが、実はそれだけではない。衣服に隠れて見えないが、胸に『光』、両腕に『風』、両足に『雷』。合計四種類の紋章が、彼の体には刻まれていた。 彼は、神殿に所属する『魔法神官』である。そして、彼が神殿より与えられた称号は…。 ――『勇者』。 彼もまた、そう呼ばれる者の一人だった。 小さな鉢の観葉植物が、弾けるほどに生命の光を発している。 『リィネ〜。本当に使えるの?』 にょろは少し心配そうにリィネを見た。 「使える…はずなんだけどなぁ」 リィネは首を傾げた。 『…無理しないで、千年樹のばあちゃんに頼んだら?』 「朝から呼び出したりしたら、怒られちゃうよ」 『平気だって。年寄りは朝が早いって言うじゃん』 「そういうこと言うと、彼女また機嫌悪くしちゃうよ?」 リィネはちょっと笑って、一度軽く頷いた。 「…うん、そうだね。もう一回やってみて、駄目だったらそうする」 そう言うと、彼女は大きく息を吸った。そして、魔法の詠唱に取りかかる。 「白き衣、その温かい両腕で、彼の者を包み、癒す力となれ」 ふわり。白く儚い光が、リィネの周囲に現れる。 「キュア!」 光はリィネの掛け声によって方向性を得、一直線に…。 『…コントロール悪すぎるよ』 にょろは、体にぴちぴちと元気が満ちあふれてくるのを感じながら、溜息をついた。 「おかしいなぁ…。アレンジの仕方が悪いのかしら…」 リィネは『白の魔法』と題された本をめくって確かめる。その本の背表紙には、どこの図書館のものか、『せ−55』という番号シールが貼られていた。…彼女が私物化してから、数年の年月が経っていたが。 『大体! 神聖魔法なんて、リィネには向いてないんだよ。元気になったの、ぼくとこれだけじゃん』 異常に瑞々しい観葉植物を指さしてにょろが言う。 「…一応効果はあるみたいね」 リィネは苦笑した。 「それじゃ、神聖魔法は諦めて、お姐さんに助けてもらいましょうか」 『もー。初めっからそうすればよかったのに』 そう文句を言って渋い表情をしたが、 「まぁまぁ」 とリィネに笑顔を向けられると、 (まぁいっか) などと思ってしまう甘いにょろなのであった。 「アルカスよ。どうやら恐れていたことが現実となったようなのだ」 金縁の長衣が、眉間にしわを寄せてうめいた。 「長きにわたる柱の欠如。いつかこんな日が訪れるのではないかと危惧していたのだが…」 「柱…とは?」 アルカスの言葉で、男達の間に意味あり気な視線が飛ぶ。 「い、いや…、何でもない。こちらの話だ。気にする必要はない…」 金縁長衣はもごもごと口ごもり、言い訳めいたことを言った後、 「と…ところでアルカス。昨今、魔力バランスが崩れていることは知っておるな?」 と、明らかに無理のある軌道修正を試みた。なぜかこの場ではそれが通用したようだった。 「は。先日もウィジーに三匹の魔物が出ました故、退治を終えたばかりです」 アルカスは誇らしげに胸を張り、『勇者』として手短に近況を報告した。 「おお、それは頼もしい! そこで、だ。今日そなたを呼び出したのはほかでもなく、その武勇を見込んでのことなのだが…」 無事話題がそれたことに内心胸をなでおろし、金縁長衣は本題に移った。 「何なりと」 アルカスの自信に満ちた表情に、男も満足そうに頷く。 「うむ。…昨夜から未明にかけて、大きな魔力の乱れを感知した。位置を把握するには至らなかったが、どうやら強大な魔力を持つ者が魔界より召喚されたらしいのだ。高位の魔族…いや、それどころか」 男は一度言葉を区切り、アルカスのスカイブルーの目を見つめて言った。 「魔王…である恐れもある」 アルカスの体に緊張が走った。 玄関を開けて、外に出る。小さな庭。その先は、静かな森。 雪こそ無いが、吐く息の白さが、まだ冬であることをこれでもかと思い知らせる。 「寒いね」 リィネはそう言って、庭の中央まで跳ねるように進んだ。 『どうして外に出るのさ?』 にょろは背中を丸め、玄関から離れようとしない。 リィネはくすくす笑って振り向いた。 「にょろは中で暖まっててもいいよ? …お姐さんを招待するには、このお家はちょっと小さすぎるから」 『そっか』 ようやくにょろもリィネのそばへ歩いてきた。 「この辺…で、大丈夫だよね?」 くるりと回って周囲を見る。辺鄙な村の、それも郊外のため、人通りは無い。 「うん、大丈夫。えーっと、千年樹のお姐さんは…『水』だったよね」 リィネは右手をすぃっと上げた。そして、ぴんと伸ばした人差し指で何やら怪しげな模様を空中に描く。 ――『水』の紋章。 それは魔力で描かれ、ぼんやりと輝きながらそこにとどまっている。 「…偉大なる祖、『エルザリオ・ファレス』の名と血の下に。水を友とし悠久を生きる者…契約者《カレン》、空間の隔たりを超え、この地に来たれ!」 ぱりん! 何かが割れたような乾いた音が、小さく響いた。 事実、それは目には見えないあるものが割れた音だった。 空間の壁。割れた壁の隙間を通して、リィネと契約者との距離が消える。 ――『召喚魔法』。 今や存在を知る者も稀となった『召喚士』の血を、リィネはその身に受け継いでいた。 ドーン! 次の瞬間、リィネの庭に雷が落ちた。 いや、雷ではない。大木だ。空から大木が降ってきたのだ。 大木は地面にしっかりと根を張り、最初からそこに居たかのような自然さで風に吹かれている。 「こんにちは、カレンさん」 リィネは大木に向かって話し掛けた。その声に応えるように大木の根本からふっと緑髪の女性が現れ、リィネを見て微笑む。 『久しいねぇ、リオの血を継ぐ者。名前は…そうそう。リィネだったね?』 ≪カレン≫は大木・千年樹に宿る精霊で、リィネの先祖、偉大なる召喚士エルザリオ・ファレスと契約を交わした召喚獣である。まぁ、『偉大なる』とは言っても、もともと召喚士というもの自体がマイナーな存在である。この名前を聞いてピンとくるのは、深く召喚術に精通した研究者くらいのものだが。 カレンは懐かしそうに細めていた瞳を、リィネの隣に立つ少年に向けた。 『ところでそこのヘビ小僧。…誰がばぁさんだって? 生意気な口を利くじゃないか』 『うぇっ!? どうして!?』 にょろは驚いて目を丸くした。 『ふふん。そこの若木は私の子供だからねぇ』 窓越しに見える『元気な観葉植物』をカレンは指差し、笑った。 『…地獄耳』 『何だって?』 『何でもないよっ!』 にょろは慌てて首を振った。カレンはふん、と鼻を鳴らす。 『どうだかね…。まぁいいさ。それで、リィネ。今日はどんな用向きだい?』 召喚獣同士のやりとりをほのぼの見守っていたリィネは、はっと口元に手を当てた。 「いけない、忘れるとこだった。昨日森で倒れてた人がまだ目を覚まさないの。心配になったから、お姐さんに見てもらわなくちゃって、それで」 『…起きてるじゃないか』 「え?」 カレンの目線を辿って、リィネは自宅を振り返った。 「あー…、おはようございます…」 玄関先で所在なさそうに立っている男性が一人。寝ぼけ眼をこちらに向けている。 『…やれやれ。ああ、そうだ。…起きなかった原因はざっと見て、肉体的、精神的疲労。こいつを飲ませてやんな。…それじゃ、私は帰るよ。ここは寒くていけない』 カレンは木の葉を三枚リィネに手渡した。 木の葉を煎じた苦いお茶と遅い朝食をテーブルに運んで、リィネもいすに腰掛けた。 「ありがとうございます」 色白の彼は、リィネに笑顔で礼を言って、それから首をかしげた。 「…あのぉ、ここはどこですか?」 「あなたが倒れていた森の奥の、アゼットっていう村よ。あんなところで何してたの?」 リィネはテーブルに肘をつき、その上にあごを乗せて彼を見た。 「さぁ…、わかりません」 よほど空腹だったのか、ものすごい勢いで料理を平らげながら、彼は答えた。 そしてあらかた片付いた、というところで手を休め、再び首をかしげて彼は尋ねた。 「…あのぉ、すいません。僕は、誰ですか?」 「…え?」 リィネはきょとんとして聞き返した。彼は腕組みをして、本気で悩んでいる様子だ。 「さっきから考えてるんですが、僕、何ていう名前でしたっけ? それから、僕の家ってどこにあります? 困ったな、何も、思い出せない」 リィネは大きな瞳を更に大きくした。 「もしかして」 その後をにょろが継いで言う。 『記憶が…無い?』 「そのようです」 他人事のようにあっさりと彼は認めた。 「いくつか考えてみたの。どれがいいと思う?」 リィネは紙に書いた文字を記憶喪失の男に見せて尋ねた。 そこには『ゴゴポゴ』『フレッシュパンチ』『ヴェリンギードリァ』『ゼイル』『ポチ』『森夫』などという意味不明な言葉が記されている。 「………『ゼイル』………がいいです」 男は無難な線を選んだ。今後のことを考えれば、当然といえば当然なのだが。 「そう? それじゃ、今からあなたの名前は『ゼイル君』に決定!」 リィネに言われ、『ゼイル君』は曖昧に微笑んだ。 ――物語は当然続く……。 2001.01.25 |
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