第三話『勇者アルカス』 担当者:そぼりん戻る。 |
ぴとーん…ぴちょーん…。 天井の梁(はり)からぶらさがるモノから、赤黒い液体が滴り、”水溜り”をつくっている。 大きなスカイブルーの瞳を少し伏せる。床や壁に走る、大きな大きな爪あと。銀色の毛。…元は白かった、しかし今は真っ赤に染まっている、ばらばらになったモノ。 気持ちが悪い。これは何? むせ返る匂い。吐き気がする。 これは………何? ふっと、後ろを振り返る。銀色の毛。真っ赤な瞳。大きな爪。目の前に迫る鋭い牙――――!! 「ぁあ!!」 がばっと布団をはねのけ、アルカスは跳ね起きた。 荒い呼吸をしながらすばやく辺りに目を走らせ…そしてほぅー、と息をつく。 狭い木造の部屋。小汚い木のテーブル。硬いベッド。窓にかかる、元は白かったと思われるカーテン…。昨夜借りた、安宿の部屋だ。 (また……あの夢か。最近見なくなってたのにな…。…くそっ) アルカスはスカイブルーの目を細め、唇を噛んだ。 まだ”あの匂い”がまとわりついているような気がして、アルカスは鼻をくんくんと動かす。が、アルカスの鼻腔を刺激するのは、あの生臭い匂いではなく部屋のカビ臭さと自分の汗の匂いだった。 その匂いが妙に現実的で、眩暈のするような気分の悪さもどことなく薄らぐ。 (…。この部屋もオレも気持ち悪いな。さっさとここを出て近くの教会で水浴びでもさせてもらうか) まだやっと日が昇りきったばかりの時刻だが、”使命”を帯びての旅である。嫌な夢を見たとのんびり感傷にひたっている暇はない。 何より、アルカスはこの風呂の無い安宿とも、汗臭い自分とも早くおさらばしたかった。 アルカスはベッドからおりると、じっとりと湿った長袖のシャツを脱いだ。鍛え上げられた体と、魔法神官の証たる紋章が露になる。 魔族と違い、本来は魔力を持たぬ人間。だが、神殿に属する神官の一部は魔法を使うことができる。紋章術という名の、魔法を。 紋章術は、身体に特殊な紋章を刻み込むことによって、自然界に存在する力を使用する能力を得ることができるというものである。この紋章を刻む技術は神殿にのみ伝えられており、紋章術士になるには神殿に属するしかない。 しかし、希望すれば誰もが紋章を刻んでもらえるわけではない。紋章を刻むことを許されるのは、精神力(集中力)が特に高いと神殿に認められた者達だけである。そうでなくては魔法を使いこなすことはできないし、それ以前に紋章を刻む激痛に耐えられない。 そうして紋章を刻んだ者は、魔法神官として神殿に…神に仕えた。 「勇者の称号を受けてから2年か…」 ぽつ、とアルカスはつぶやいた。 強力な魔法。高い精神力。魔法神官とは思えぬほどの、強靭な肉体と卓越した剣の腕。そして天性ともいえる戦いのセンス。 人一倍才能に恵まれ、人一倍努力をしたアルカスは、真に強く信心深い者にのみに与えられる“勇者”の称号を、17歳という異例の若さで受けた。 それから2年。アルカスは抜きんでた強さで勇者としての務めを果たし、数え切れないほどの魔族を葬り去ってきた。 だが、3日前に魔法神官長の口から告げられた存在は。 (魔王…すべての魔族の頂点に立つ者。憎い、魔族の。…だが、オレに勝ち目はあるのか?) アルカスが倒してきた魔族の多くは下級か、中級の者だ。上級魔族は召喚でもされない限り、人間界には入ってこれない。 その滅多にいない上級魔族と、アルカスは戦ったことがある。上級というだけあって魔力が強く、倒すのには並大抵の苦労ではなかった。一歩間違えれば、死んでいたのはアルカスだった。 その上級魔族よりも、さらに上をいく存在とは…。 ふるふる、とアルカスは弱気な考えを振り払うように頭を振った。そうして、胸の光の紋章に手を当てる。 (すべては神の御心のままに。オレは使命をまっとうするだけだ…) あのときから、この命は神にささげたのだから。 口の中でそうつぶやくと、アルカスは着替えようと青い服を手にとった。…その時。 「若いくせにいつまで寝てんだい、旅の人!!もう朝めしの時間……」 宿屋のデブ女将が、荒々しく部屋の戸を開けた。返事を待たないどころかノックもせずに。鍵はとうの昔についていない。 「・・・・・・・・」 「・・・・・・・・」 アルカスは女将のあまりの行為に絶句し、女将は逞しいアルカスの上半身…もとい紋章にくぎ付けになった。 「し、し、神官様!!」 がばっと汚い床に這いつくばる女将。 この瞬間、額布やら長袖の服やらで紋章を隠してきたアルカスの努力は、空しく消え去った。 「ゼイル君、記憶が戻るまでここで家事見習いとして働きませんか?」 リィネがテーブルの向かいに座っているゼイルに笑顔をむける。 「家事、見習い?…よくわかりませんが、よろしくお願いします」 ゼイルは“家事見習い”とは何だろうと思いながらも、曖昧な笑顔をかえした。 「それから、申し訳ないんだけど、お家は隣のを使ってもらえますか?」 「そうですね。一人暮らしの女性の家にいつまでもご厄介になっているわけにはいきませんから」 『あたりまえだよーだ。』 どこからともなく聞こえてきたボーイソプラノの声に、リィネは金の腕輪のついた右手を慌てて後ろに隠し、ゼイルは不思議そうな顔をした。 「あの、何か言いました?」 「いいえ、なんでも〜。」 「?、そうですか。ところで…隣に家なんかありましたっけ?」 ここに居候して3日間、辺りを注意深く見ていたわけではないが、隣に家があれば気づくはず。だが、思い出す限りでは家など見たことが無い。 「あるわよ、ホラ…」 リィネが窓の外を指差す。その先にあるものを、ゼイルは目を凝らして見つめた。 …たしかに、あった。50クレーザほど先に、元は家だったと思われるものが。 ドアが無い。屋根も無い。壁板は腐ってぼろぼろ。床は見るまでもなく穴だらけ。そんな、家が。 「ちょっと修理が必要だけど…ね?あ、修理が終わるまではここにいて下さってかまいませんから」 「ありがとうございます…」 ゼイルは元・家を見ながら、曖昧に笑った。 アルカスは旅をするとき、神官であることを極力知られないようにしていた。神殿の神官とわかれば無用な歓待を受けることもままあるし、何より目立つ。使命を帯びているときに目立つのはあまり得策とは言えなかった。 だからこそ、紋章を隠しながら旅をしていたのだが…。 「……失礼します。お世話になりました」 手早く着替えと荷造りを終えて出て行こうとするアルカスの足に、女将が邪霊のごとくしがみついた。 「!!な、何するんですか。離してください!」 「お待ちください神官様!あ、あたしたちを助けてください!」 「助ける…?」 女将は必死な形相でぶんぶんと首を縦にふる。 「最近、この近くの山に山賊が住み着いちまったんです。神殿に助けを求めたいけど、ここはどの神殿からも遠いし、教会の神父様は傷を治すしか能がないし…。あぁ、あたしたちゃもう怖くて怖くて!」 アルカスにとっては今足にしがみついている女将のほうがよほど怖いが、山賊と聞いて放っておくわけにはいかない。ここはまだアルカスの所属する中央神殿の管轄であるし、市民の平和を守るのもまた勇者のつとめなのだ。 アルカスはぐっと胸をはる。 「神の使徒として、悪の存在を見過ごすわけにはいかない。わかりました、オレが退治しておきましょう。……で、足、離してもらえますか?」 「あらいやだ!」 あーっはっはと口をおさえながら豪快に笑い、女将は立ち上がった。 「じゃ、よろしくお願いしますねぇ、神官様」 女将は猫なで声を出し、アルカスの身体にべたべたとさわる。神官とわかる前とは明らかに態度が違っていた。 「おまかせください。それから、ここに神官がいたということは、内密にしておいてもらえますか。何かと都合が悪いので…」 アルカスはつとめて冷静に言う。嫌そうな態度を見せないという点では、さすが精神力の高い魔法神官といったところか。 「ええ、ええ!もちろんですとも。いってらっしゃいまし〜」 にこにこと愛想笑いをうかべる女将を一瞥すると、アルカスは足早に宿から出て行った。 その後女将は、アルカスの存在を近所に自慢しまくり、あげくのはてには宿に「神官様御泊りの宿」という看板を出していたという。 (かよわい市民を、差別しちゃいけないんだろうが…) 恐怖の宿を出て一人山道を歩くアルカス。その顔は、こころなしか青かった。 神官とわかって尊敬や憧れ、畏怖の対象になることはよくあったが、あのようにべたべたとなれなれしくされるのは初めてだった。 (…世の中は広いってことかな…。オレもまだまだ修行が足りないな…) ぐったりと疲れた様子のまま歩いていたアルカスが、突然ぴくりと身体を震わせた。その顔には、先程までの弱々しさはない。 (…さっそく来たな) アルカスの周りを、囲む気配があった。彼は1…2…3…と口の中で自分を囲む者達の数を数える。数は全部で10人。たいした人数ではない。 そうして完全に包囲を終えたとき、凶悪そうな一人の男が木の陰からアルカスにむかって歩いてきた。 「よぉ、ニイチャン。俺ぁ今金に困っててよお。ちょっくら有り金全部恵んでくんねぇかな?」 あまりに予想通りな人相とセリフに、アルカスは鼻で笑い、「断る」とだけ答えた。 山賊は青年の予想外の反応に気色ばむ。 「…あんだとぉ?てめぇ、俺様を誰だと思ってやがる」 「ウス汚い山賊だろう?始めに言っておくが、オレは貴様らのような輩が魔族の次に嫌いだ」 「てめぇ…かっこつけてんじゃねぇ!!」 男がそう叫ぶやいなや、周りから残り9人の男達が一斉に飛び出してきた。 全員、スラリと剣を抜く。 「はっ、ちょっと痛ぇ目にあわねーとわかんねぇみたいだな、ニイチャンよお。それとも何か、その腰に下げたご立派な剣で、俺たち悪党を倒してみるかい!?」 げっへっへ、とアルカスを囲む男達が笑う。帯剣しているとはいえまだ若いアルカスを、どう見ても侮っていた。 アルカスはふっ、と笑う。 「相手の実力も見抜けない未熟者が。…いいだろう。神をも恐れぬその振る舞い、このオレが後悔させてやる!」 そんなセリフを恥ずかしげもなく叫び、アルカスは羽織っていたマントをばっ、と勢いよく外した。山賊たちの目に飛び込む、両腕にびっしりと刻まれた紋章。 驚く山賊たちを尻目に、アルカスは額の布もゆっくりと外す。彼の内面の激しさを表すような炎の紋章が、その額に刻まれていた。 「お、おい…」 「まさ、か、神官か!?」 山賊たちの間に、動揺が走る。逃げ腰になりかけた山賊たちを、頭と思われる、最初に出て来た男が叱責した。 「ばっかやろう!!何びびってやがんだ。神官がこんな田舎にいるわきゃねぇだろ!!」 何の根拠も無いお頭の話に、山賊たちはなぜか納得する。 「そ、そうだよな。神官がこんなとこにいるわきゃねぇよな」 「そうだそうだ。最近じゃ身体に適当に模様書いて、神官のフリする奴もいやがるってぇ話しだしな。おおかたコイツもその口だろ!」 元気を取り戻した手下達に、お頭も満足そうに頷く。 「まぁ、万が一本物の神官だったとしても、詠唱には時間がかかるってきいたぜ。その間にぶった斬ってやりゃあいいんだよ!」 あまりに愚かな山賊たちの会話に、アルカスはやれやれと首をふった。 「いつまでしゃべっている気だ?…来ないのか?」 そんなアルカスの態度に、山賊たちはまたげっへっへと笑い始める。 「そんなに死にたきゃ、今すぐ殺してやるぜ!」 「神様に会わしてやるぜ、神官様よぉ!!」 山賊たちが、腰を落として剣を構える。アルカスの目つきが鋭く、冷たくなった。 「神の名の元に。」 アルカスは、ゆっくりと剣を抜いた…。 料理をしていたリィネが、はっと顔をあげる。 『どうしたの、リィネ?』 腕に巻いた金のブレスレット…もといにょろが、リィネの変化を敏感に察して目を覚ます。 「ううん、なんでもない。悪い、っていうのとはちょっと違うんだけど、何か予感が…。………気のせい、だよね」 リィネは一人で納得すると、また鍋をがしゃがしゃとかき混ぜはじめた。 『ぼくは悪い予感がするよ』 「にょろ?」 『…もしかして今日の料理、“新作”?』 「うん。モームル虫の煮付け」 金のブレスレットが、一瞬びくりと揺れた。 リィネは普段つくる料理はまともなのだが、時々何を考えてか恐怖の“新作”を作ることがある。その料理を食べるハメになるのは、いつも…。 『じゃ、ぼくは寝るから。おやすみ、リィネ。』 「ええ、おやすみ〜。食事の時に起こすね」 にょろは、泣きたい気持ちを必死で我慢した。 アルカスが剣を抜いてから、たった10分。 そのわずかな間に、山賊たちは全員返り討ちにされた。といっても、10人全員まだ息があるが。 「まだやるか?」 剣をつきつけ、アルカスがお頭に問う。魔法神官に剣のみで倒された山賊たちは、無様にはいつくばって許しを乞うた。 「ひ、ひぇぇえ!勘弁してくれ!!」 「もう悪さはしねぇ、だから見逃してくれぇ!!」 「い、今まで盗みはしたけど人殺しはしてないんだよぉ。頼むから見逃してくれー!」 「更生する!絶対更生するから!!神殿には内緒にしといてくれよ、頼む!」 必死に詫びる山賊たちに、アルカスは迷う。アルカスは魔族には容赦がないが、人間には甘かった。今彼らが生きていることもその証拠だろう。 もともと神殿の基本方針は「不殺」である。悪党といえども、更生のチャンスを与える。 だが、それはあくまで基本方針。更生の余地なしと見なされた者は、「神を冒涜するもの」として処分されてきた。 そして勇者には、その場で悪党を抹殺できる、いわゆる“執行権”が与えられていた。 一方で不殺を唱えながら、一方で裁判もなしで殺すこともある。神殿は、そういった異常な面を持っていた。 もっとも、少年時代から神殿で育ち、神殿こそが正義だと信じてきたアルカスは、その異常性に気づくことがなかったが。それも生来の単純さやお人よしさがあってのことかもしれない。 そしてそのお人好しは、山賊達の言葉を受け入れようとしていた。 「…本当に更生するなら、今回は不問にしてやってもいいが…。もしまだ山賊行為を続けているとの話がオレの耳に入ったら、今度こそ殺しに来るぞ?」 「ああ、ああ!わかってる!!もう絶対にしねぇ!!俺たちにもまともになるチャンスをくれよぉ!!」 震える山賊をしばし見つめたままアルカスは考え込み…やがてため息をついた。 「…わかった。慈悲深き神の御名の元に、お前達を許そう。ただし今回だけだ」 そう言って、アルカスは剣をおさめてくるりと踵をかえした。 山賊の目が、あやしく光る。 「ああ…ありがとさんよぉ!!」 言うなり、お頭ははいつくばった状態からアルカスの足首をつかみ、思いっきり手前に引っ張った。 「!!」 予想外の展開に、アルカスはべちゃりと顔から倒れこむ。 「今だ、やれ!野郎ども!!」 その声を合図に、盗賊たちが一斉にすっ転んでいるアルカスに襲いかかった。 自分の優しさ…もとい神の慈悲をアッサリと裏切られ、アルカスの頭にかっと血がのぼる。 「…貴様ら!!」 アルカスは足を掴んでいるお頭の顔を思い切り蹴飛ばすと、その勢いで後方に回転して襲い来る剣を避け、起き上がった。 再び剣を抜いたアルカスを見て、山賊たちに戦慄が走る。大人しく更生しておけばよかったという考えがよぎったが、もう遅い。 黙ってやられるよりは、と山賊たちは決死の覚悟でアルカスに斬りかかったが、1人、2人と次々に跳ね飛ばされていった。 自らもアルカスに斬りかかっていたお頭が、剣をふるっているアルカスが何かをつぶやいていることに気づく。 「…我に宿るは神の怒り…汝を討つは裁きの光!」 (詠唱!?まさか、こいつ、剣を使いながら……!?) 逃げよう、という思考よりも早く、アルカスの詠唱が終わった。 「…サンダーボルト!!」 ズッガァァァァァアアン!!! ものすごい音と眩しい光、そして地面を伝う激しい衝撃に、山賊たちは一瞬何が起こったのかわからなかった。 そうして後ろを振り返り……愕然とする。山賊達のすぐ後ろに、大きな大きな穴が開いていたのだ。穴の内部は黒く焼け焦げ、ぶすぶすと煙をあげている。 「・・・・・・っ」 声を失う山賊たちに、アルカスは厳しい視線をなげかける。 「これ以上逆らうなら命の保証はしない。これを脅しだととるならそれでもいいが。…死にたくなければ、教会に“自首”することだな」 山賊達は、その場で腰を抜かした。中には失禁している者もいる。そんな山賊達の様子を見て、アルカスは大きくため息をついた。 (…くそ。神聖魔法を使うのはやりすぎだったな。神よ、未熟なオレをお許しください) アルカスは胸にそっと手をあてた。 「…今の、は…」 ギコギコとのこぎりで木を切っていたゼイルは、その手を止めて南西の空を見上げた。 (なんだろう?今の感じ…向こうのほうから……何かの…力…?) ふと窓から家の中を覗くが、リィネに別段変わった様子はない。何かを感じたのは、ゼイルだけのようだった。 「…気のせい、ですよね…」 ゼイルは自分に言い聞かせるようにそうつぶやくと、再び木を斬り始めた。 真剣に木材をみつめるその瞳が、わずかに赤みがかっていた。 つづく。 |
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