第四話『黒い影』 担当者:あやにょ
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 大陸中央には中央神殿があり、その周囲を取り囲むように山々が連なっている。そのさらに外側を取り囲むようにして、有名な大都市がいくつか存在する。その一つであるエルデンは神殿の南に位置し、神殿への参拝に向かう信者や、美しいレンガ造りの町並みを見に来た観光客でいつもにぎわっている。
 その市街地のややはずれにある小さな酒場の一室に、七つの影が集まっていた。声からすると年齢はまちまちのようだが、共通しているのは彼らが男で、黒いマントを羽織ってフードをかぶり陰気そうにしていること。……彼らは召喚士。とくに魔族の召喚を専門とする「黒召喚士」と呼ばれる者たちの、各地区の長であった。
「全員集まったのではないか?」
 最も年老いた男の声が会の始まりを促すと、別の声が淡々と言った。
「西のクジーレが来ていない」
「いつものことだな。もうかまわぬ、始めよう。今日の議題だが……続報は?」
「何もない」
「皆もそうか」
 ふう、と黒服の間から溜め息が漏れた。
「ドムールの奴もふがいない。大風呂敷を広げておいて帰ってこないとは、失敗したか」
「奴が消えてから二週間たつ。成功したなら、そろそろ我々の耳に何か情報が入ってきてもおかしくない。失敗したのだろう」
「今回用いたのは闇の紋章でもなければ一般的な紋章ですらなく、奴が怪しげな古文書から見つけた物だというではないか。十分な裏付けもないのに功を焦ったか」
 魔族の召喚は厳密な手順に従うもので、下手すれば命はない。帰ってこないとなれば、死んだと考えるのが普通だ。
「しかもあの秘密主義。実際の式次第も召喚地もわからんでは、我らの研究には何の足しにもならん」
「しょせん奴は異端者、どこにも属そうとしなかったではないか。そもそもそれが間違いだ」
「魔王召喚は我らの最終目標。あんな新参者にできるわけがない」
「できたとして、まあ中級魔族がせいぜいでしょうな」
「たしかに最近、中級魔族が急に増えているようだ。ドムールは中級魔族を大勢よびだしたのではないか?」
 場が失笑に包まれた。最初に発言した年老いた声が、その場をまとめた。
「各々、自分の区域についてもう少し情報を集めようではないか。判断はそれからでもよかろう」
 やがて男達は三々五々散っていった。
 さて、彼らは気付いていなかったが、屋根裏にもう一つ人影があった。
 屋根裏に隠れていた少女は人がいなくなったのを確認すると、それでも音を立てぬようにそっと外へ出て陽の光に自らをさらした。年の頃は十代後半。短くカットされた髪も少年めいた服装も、よく似合っている。
「服は……よし、汚れてないな」
 盗み聞きをするのはいつものことなので、屋根裏は常に彼女が綺麗に掃除している。
「っていうか何でいつも同じとこで集会するんだろ。ばっかみたーい」
 路地裏をスキップしていく。複雑に入り組んだレンガ造りの町並み。角を右に折れ左に折れ、それを何度か繰り返し、十分ほどで目的の場所にたどり着いた。繁華街のそばの住宅街の、とくに特徴のない一軒家だ。彼女は「会合の時の隠れ家」と呼んでいる。
「クジーレ様、サジャです。ただいま帰りました」
 最も奥まった部屋のドアを開ける。そこは書斎のようになっていた。サジャは返事を待たず続ける。
「皆さんクジーレ様を見捨ててますよ。いつも顔を出さないから」
「かまわんさ。それで、ドムールの件は?」
「皆さん『召喚に失敗した』っていう意見みたいです」
 一人の男が頷いて、隅の長椅子から起きあがる。ツヤのある茶色の髪に、同色の瞳。均整の取れた身体は、機能的な黒い衣服によって引き締められて見える。
「奴の手下まで誰一人帰ってこないのでは、まあ失敗と考えるのが妥当だろうな」
 サジャは首を傾げた。
「でもクジーレ様は、成功したとお思いなのでしょう?」
「俺の直感だ。何の根拠もない」
(奴らはすっかり忘れているようだが、問題は「失敗」の質だな……)
 肩をすくめた男の耳に、ドムールの歓喜の声がよみがえった。
(「これこそ私が探し求めていた魔王の紋章。これで全てを解明できるのだ!」)
「……何を解明する気だったかは知らんが」
 クジーレは胸ポケットからタバコを取り出して立ち上がり、灰皿のある机の方に移動した。マッチで火をつける動きを目で追いながら、少女はふと思い出したことを口にしてみた。
「そういえば、ドムール様は神殿から追われていたのでしたね」
「ああ、危険思想の持ち主とか何とかって言われて、結構大々的に追われてたな」
「解明する気だったものって、それと関係があるのでは?」
「さて、どうだか。それにしても、奴は本当のところどうしたのかな?」
「召喚地の候補はわかっています。調べに行きましょうか」
「魔王がいるかもしれない地へか?」
 有能な弟子の進言に、クジーレはニヤリと口の端を上げて笑った。
「分不相応なモノと自らすすんで鉢合わせることもないだろうよ。それに神殿が最近活発に動いているようだしな、奴らと鉢合わせるのも面倒だろう」
「神殿が?」
 サジャは眉をひそめた。神殿と彼らは犬猿の仲というほどではないが、水と油程度には仲が悪い。神殿は強い魔族を喚び入れるクジーレたちを弾劾してくるから、少なくとも会いたい相手ではない。
「何やら秘密めいた動きだ。手練の勇者を内密にあちこちへ派遣しているらしい」
「常にあちこちにいるじゃないですか」
「ところが今回、中央神殿からのみ放射状に派遣されている。おかしいと思わないか?」
「……クジーレ様、そういう情報、どこから入るんです?」
「自分の手足と耳で仕入れるに決まっているだろう。たまたまこの辺をうろついていてくれたことだしな」
 ということは、勇者を一人か二人ふんじばって直接聞き出したということだ。神殿の手の者と鉢合わせるのは面倒だと言いつつ、この男はそういうことを平気でする。
「またそういう危険なことを。神殿にバレたらどうするんですか。私たちはいつ彼らから引導を渡されてもしょうがない立場なんですよ」
「そんなもん渡されないさ。俺は勝てる」
 冷静な自信たっぷりの口調であっさりと言われ、サジャはため息をついた。その自信が確かなものに裏打ちされているのを知っているだけに、何も言えない。クジーレは長くなってしまったタバコの灰を灰皿に落とし、続けた。
「派遣された理由は吐かなかったが、何かあったんだろうな。中央神殿にしか関知できないような何かが」
(しかも他の神殿には言えないような何か、か)
 黙り込んだクジーレに、サジャが尋ねた。
「何かって、何です?」
「さあ。ドムールの件と関係あるのかもしれないな」
「それも直感ですか?」
「直感だ」
 サジャはまたまた小さくため息をついた。クジーレはそれを見て苦笑する。
「そう呆れるな。多少は推測も入っている。別件で動いているのだと思うには時期が重なりすぎているし、神殿が動くときは大抵まずいことがあったときだからな。二年前もおかしな動きをしていたし……」
(そう、十二年前のあのときも)
 男は、髪に隠れている右目上の古傷をタバコを持つ手の親指でそっとなぞった。どこか苦く自嘲的な思いが心をかすめる。頭を振った。
「確かなことがわからないうちは俺が動いても無駄足だが、……サジャ、ドムールの召喚地の候補はいくつあった?」
「ちょっと多いんですが、十五、六くらいですね。何かなさるおつもりですか」
「ただ待っているのも芸がないからな。一つ、いや十五、六ほど頼まれてくれるか」
「もちろんですが……何です?」
 クジーレは鮮やかな笑みを浮かべ、
「俺が動くのは勇者に何人か被害が出てからでも遅くはないだろう?」
 灰皿に、吸い殻が押しつけられた。


「あのぉ、カンナの刃を研ぐので、砥石を貸してもらいたいんですけど……」
 ゼイルが勝手口から台所に行くと、そこにいたはずのリィネは席を外していた。
(休憩して待ちますか)
 そういえばずっと朝から働き通し。そろそろお昼にしてもよい頃だ。そのことに気付くと、ゼイルのお腹がぐぅぅと鳴った。何か食べるものはないかと周囲を見渡したその目が奇怪なものを捉えた。
「モームル虫?」
 でっかい緑色の串団子のような身体に、申し訳程度に細い足が六本、愛嬌のある触角が二本。イモムシのような姿をした成虫だが、どうやら集団で冬眠に入ったところを捕まえたものらしい。
「…の、煮付け?」
 どうも香りから判断するに醤油と酒とみりんと……あと何だろうかこれは、妙に鼻につく匂い。とにかくそれらで煮たらしきモノが、椀にてんこもりになっている。
 おそるおそる、それをつまんで、
「……」
 そのとき、居間の方から人の気配が近づいてきた。
『やだ、やだやだやだ〜〜』
「なんでにょろはそんなに嫌がるのかなあ。あ、ゼイル君、どう? おいしい?」
 人間姿でわたわたと逃げようとするにょろの首根っこをひっつかんでやって来たリィネはにっこり尋ねた。振り返ったゼイルは怪訝そうな顔でしばらく首を傾げていた。
『……食べたの?』
 にょろの複雑な口調の問いに、ゼイルははっと我に返って答えた。
「ええ」
 とたん、金髪の少年は救いの手を見いだしたかのような表情になった。
『やっぱりモームル虫はダメだよねぇっ!!』
「味付けがちょっと……独特でした」
「そうかなあ、いいと思ったんだけど」
『ね、モームル虫なんかダメだよ』
 ゼイルは、必死に訴えかけてくる少年の瞳に何か感じるものがあったようだ。
「……今夜は僕が作りましょうか」
「え、家事見習いをもう今日からやってくれるの?」
(あ、家事見習いって、そういうことか)
 と妙な納得をしつつ、ゼイルは言う。
「見習いと言わず、料理専門でもいいですけど…」
『わぁ、良かったね、リィネ!』
 にょろは、いけ好かない青年の存在をこのとき初めてありがたいと思った。だが、ゼイルの次のひとことが、哀れな召喚獣を奈落の底へ突き落とした。
「モームル虫は、煮付けにするよりカラッと揚げた方が美味しいんですよ」

 モームル虫のストックはないと言われて、「じゃあ捕ってきます」とゼイルは森へ入っていった。家の修理はどうせ一日で終わる仕事ではない。あの金髪の少年はいやな顔をしているが、気長にやるしかないだろう。なにせ修理というよりは一から作り直した方が良さそうだから、設計から考えても良いかもしれない。
(そういやあの子は弟さん? それとも村の子どもなのかな?)
 リィネのそばにいたりいなかったりするし、紹介もされていないのでわからない。
(それにさっき、ばたばた暴れているわりにはリィネさんの足音しかしなかったし。変ですねえ)
 ゼイルは思考をとめた。集団冬眠中のモームル虫を枯れ木のうろに見つけたからだ。揚げてしまうと小さくなるので、たくさん欲しい。さらに探し回って、小一時間。
「そろそろ帰ります、か」
 リィネが渡してくれた大きな布の袋いっぱいにモームル虫を詰め込んだゼイルは村に向かって歩き出し、ふと振り返る。
(何かの気配?)
 突然、衝撃が来た。何かがぶつかってきたのだ、と思ったときには背中から樹に叩きつけられていた。
「う……」
 うめきが漏れる。ぶつかってきたモノを確認しようと、苦しいながらも目を開く。
 目の前で敵意をむき出しにしている、全身が黒い、大きな獣。ゼイルの背丈より一回りは大きい。
「魔物…」
 魔物にあったときの心得は、記憶喪失のゼイルといえど知っている。とにかく逃げるしかない。そして、助けを呼ぶのだ。わかっている。けれども、逃げたら? 逃げる先にはリィネたちがいる。彼女たちも危険にさらすことになるではないか。それだけはできない。ならば、
(こんなものに負けるわけにはいかない)
 どこか好戦的になっている自分をゼイルは自覚した。魔物を見つめるその瞳がわずかに赤みを帯びる。魔物は一瞬ビクリと体躯を振るわせたが、そんな己を恥じるかのように頭を振ると、何やら口をもごもご動かした。
「!」
 ゼイルは再び樹に身体を叩きつけられた。魔物は全くその場から動いていない。ならば、先ほど口が動いたのは何かの呪文だったのか。
 頭を打ったのか後頭部を押さえたゼイルは、背後に異様な気配を感じた。ざわり、と背筋に何かが走る。
(え……?)
 聞き慣れぬ声が辺りに響いた。男のものにしては少し高めの声。
「風よ、彼の者を在るべき地へ導け」
 ゼイルの目には、呪文が風の紋章を張り付けた薄い膜となって、目の前の魔物に覆いかぶさるのが見えた気がした。次の瞬間、魔物はその場から消え去る。
「大事ないか」
 いつの間にか元の色彩に戻ったゼイルの目が見開かれた。数グレーザ後方から現れた男は、さらりと流れる黒髪と、吸い込まれそうな闇色の瞳を持っていたからだ。
 闇の色彩を持つモノは魔族である。ここに住む普通の生き物ならば黒の色彩を持っているはずがない。人々の生活を脅かす魔物の多くは黒々とした獣の姿をしており、たったいま消えてしまった獣もそうだった。まれに人の形をした魔族もいるとは聞いているが、
(だけどこの人、肌が白い)
 白石の肌の魔族など、見たことも聞いたこともなかった。
 アルカスなら緊張に身体を硬くしたことだろう。人型の魔族は少なくとも中級以上。全身が漆黒ならばともかく、白い肌を持つならば確実に上級魔族なのだから。
 だが、それを知らないゼイルは黒の色彩を訝しく思いながらも、頭を押さえて立ち上がり、あちこちの痛みをこらえつつ深々とお辞儀をした。
「どなたか知りませんが、危ないところを助けていただいてありがとうございました。よろしければ、お名前を聞かせていただけますか」
 緊張感がなさすぎるその声に、魔族は目を見開いたあと、苦笑した。
「私は佳瑠(かる)という」
「お住まいは?」
 佳瑠の目が好奇心に細められた。
「旅の途中なので住所不定なのだが……なぜそんなことを聞くのだ?」
「恩人にはお礼に伺うのが筋ですから。僕は居候してるんです。旅の途中だというのであれば、家主が良いと言ってくれればぜひ夕食などごちそうさせていただきますけど、どうですか?」
 袋を掲げて言うゼイルに、上級魔族はとまどった。
「……いいのか?」
「あなたは恩人ですから。一応リィネさんに聞いてみますね」
「リィネ? まさか、勇者リィネか? エルザリオの末裔の? そういえば君からはどことなく魔力の気配がする。それは彼女のものだな?」
「は?」
 わけの分からないことをまくし立てられて、ゼイルは混乱した。黒髪の男は一人で盛り上がっている。
「私は彼女を捜して旅を始めたばかりなのだ。ああ何という幸運!」
「勇者かどうかは知りませんけど、リィネさんに何かご用ですか?」
 佳瑠は頷いた。
「ああ、私たちの王を探してもらいたいと思ってな」

2001.02.19

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