第五話『魔王様を探せ!!』 担当者:えいちけいあある。戻る。 |
森から抜けて小さな灯りを見つけると、なぜだか冬の空気さえ、ほんのり温かくなったような気がした。――夕暮れ。森も村も、オレンジ色に染まっている。 コンコン。ドアをノックする。 軽い足音がドアの向こう側に近づいて、かちゃっと扉が開かれた。 「お帰り、ゼイル君! …あれ? そちらはお友達?」 リィネはゼイルの隣に立つ長髪の美しい男性を見上げ、首を傾げた。 「はい。森で魔物に襲われたところを助けてくださったんです」 ゼイルはにこっと微笑んだ。 「カルさん、というそうです」 佳瑠は長いまつげを伏せた。多分、会釈をしたのだろう。 「そうなの。魔物が出るなんて、最近本当に物騒だよね」 リィネもにこっと微笑んだ。 「それじゃ、二人ともご苦労様でした。寒かったでしょ?」 二足のスリッパを並べて言うリィネを、佳瑠は少々複雑そうな表情で見ていた。 リビングでは、にょろ少年がカードゲームの再開を待ちわびてソファに座っていた。 『…リィネ〜。次、リィネの番だよ? いつまで待たせるのさ』 人が近づく気配に、振り返りもせず彼は文句を言った。 「あ、ごめーん。もうちょっと待ってね。…ねぇにょろ。今日はこちらのカルさんも一緒に夕ご飯だよ。いい?」 『ええー? またお客さんなのー? もう厄介ご…と…は…』 にょろはカードから目を上げ、凍りついた。 (魔…族!?) 間違いない。黒い髪、黒い瞳。…そして、白い、肌。 (こ、こいつ、上級魔族だ…! どうして!?) 冷や汗が、つ、と背中を流れる。 とびっきりの厄介ごとを連れてきた張本人はにょろのそんな様子に気付くこともなく、麻の袋を持ち上げて見せた。袋はもぞもぞと奇怪な動きを見せている。 「にょろさん、見てください! こんなに大漁だったんですよ!」 しかも、ちょっと得意げな響きが彼の声には含まれていたりする。 (…そ、そんなもの、見せなくてもいいよぉ…) いろんな意味で、にょろは泣きそうになった。 「あれ、どうしたの? にょろ。…あ、そうだ。ゼイル君、お鍋の場所とか教えるね」 終いには唯一の心の拠り所であるリィネまで、ゼイルを伴って隣の部屋へ消えてしまった。リビングに残されたのは、上級魔族と、哀れな召喚獣…。 (ふ、二人きりにしないでよ! リィネー!!) にょろは再びカードに視線を落として小さく震えた。…その、わずか数秒後。 「少年」 少し高い男性の声が二人の間の沈黙を破った。 「ふぃっ…」 にょろはしゃっくりのような声を上げ、更に緊張で身を硬くする。 佳瑠は、そんなにょろを見て目を細めた。 「…ふむ。少年は私のことが怖いらしい。以前見かけた『神殿の勇者』とやらも、そんな反応をしていたな。あれがおかしいのかと疑いもしたが…やはりあの二人は、少々変っているのだな?」 彼はくっくっと笑い、肩を震わせた。 「さすが、あのエルザリオの子孫だ! 血だけではなく、その度胸まで受け継いでいるとは! それでこそわざわざ会いに来た甲斐があったというものだ!」 にょろは思わず顔を上げる。黒い瞳とまともに目が合い恐怖のあまり眩暈さえしたが、なんとかかすれた声を搾り出すことに成功した。 「リ…リィネに何の用なのさ…」 「ふむ。用件ならば食事の席で言おう。…案ずるな、危害を加えるつもりは無い」 愉快そうな佳瑠の声を聞きながら、夕ご飯が始まるまでの時間がにょろには酷く長く思えた…。 勇者アルカスは机の上に地図を広げ、じっとそれを見下ろしていた。 場所は、町唯一の酒場。薄暗い照明だが、かろうじて読むことは出来た。 その地図の上を、アルカスの指が滑るように動く。 彼が探索を命じられたのは、北東エリアと呼ばれる森に覆われた土地である。 地図中央…中央神殿を示す記号から始まり、現在地は、エリア内南西の山間部。 そこで彼の指は止まった。 「…まいったな…」 一人呟き、ふっとため息を漏らす。予定していた距離の半分も進んでいない。 理由は明らかである。窓の外、吹き荒れる風雪…。 (山の天気は変りやすいと聞くが…本当だな) 何度目かのため息を漏らしたとき、 「よぉ! 刺青野郎のアルカスじゃねぇか! 奇遇だな?」 アルカスは、意外な人物と対面することになった。 「グラティス! なぜここに?」 「理由は多分お前と同じだと思うぜ?」 グラティスはにやりと笑った。 彼は中央神殿に所属する『武法神官』で、アルカスとは同時期に勇者の称号を得た、いわば同僚である。とは言っても年齢は二十四歳。アルカスより五つ上なのだが。 「オレと同じ? …北東エリアの探索か?」 アルカスは慎重に言葉を選んだ…が。 「ふっ。そんな回りくどい言い方はよせよ。『魔王様退治』に決まってるだろ?」 グラティスはあっさりとそれを口にしてしまう。アルカスは周囲に目を走らせて慌てる。 「ばか! これは密命だぞ!?」 「なぁに。こんなところで何を言おうと誰も気に留めやしないさ」 「それはそうかもしれないが…」 賑やかな店内。それぞれがそれぞれの話に夢中で、こちらに注意を向けるものなどいなかった。 「真面目だなー。大方この店にも『情報集め』に来たんだろ? 情報は酒場に集まる。神殿仕込みのマニュアルどおり。お前らしいな」 グラティスはからかうように笑む。 「悪いか?」 アルカスはむっとした表情になった。 「いいや、俺もそのために来たんだ。…けど、なかなかいけるぜ。ここの酒」 カラカラとグラスを振ってみせる。何杯目かもわからないそのグラスには、琥珀色の液体が僅かに残っていた。 「…そりゃぁよかったな」 そう言って立ち去ろうとしたアルカスに、彼はグラスを押し付けた。 「ここで仕入れた情報なら、俺がすべて握ってるぜ? 付き合えよ。どうせ明日の朝までは、俺もお前も身動きなんて取れやしないんだ」 「なっ! オレは…!」 「まだ未成年だってか? いや本っ当にアルカス君は重要文化財級の真面目さだねぇ。けど、もう社会人なんだから、それなりのお付き合いってもんも覚えなきゃな。俺の酒が飲めないとは言わせないぜ? …おら、飲めよ」 さらにぐいっと押し付ける。 アルカスは、眉間にしわを寄せしばらくの間グラスを睨んだ後、ため息をついてそれを受け取った。 ――外の吹雪は、一層激しさを増したようだった。 佳瑠は、フォークでその物体を突き刺し、しげしげと見つめた。 「これは…?」 「モームル虫です」 ゼイルはエプロンをはずしながら答えた。 「モームル? …この付近では、変ったものを食すのだな…」 佳瑠は詳細に観察するかのように、様々な角度からそれを見ている。 「おいしいね、から揚げ。外側サクサクで、中がもちっとやわらかいの」 どうやら、リィネの口には合ったようだ。ゼイルの表情が素晴らしく輝いた。 「でしょう!? この揚げ加減に仕上げるには、三年の修行が必要と言われています!」 「ゼイル君、三年修行したの?」 「いや…わかりません」 ゼイルは前髪をかきあげ、少しうつむいて考え込んだ。 「僕、どこかで修行していたんでしょうかねぇ…?」 佳瑠は、二人が交わす奇妙な会話を不思議そうに眺めてから、とうとうそれを口に運んだ。そして、 「…ふむ、なるほど。なかなか変った味であるな。独特の苦味があるが、それもまた個性なのだろう」 などと、冷静に分析する。 「そちらの少年は、食が進まぬようだが」 ちら、と、佳瑠はにょろに目を向ける。 「にょろは時々こうなの。どうしてかな?」 リィネはちょっと首をかしげる。 (…食なんて進むわけないじゃないか! モームルだし、魔族だしっ…!) おそらく一番『まとも』である少年は、緊張で出せない声の代わりに悲しげなため息をついた。 「あ、そうだ。カルさんはリィネさんにお話が有るみたいですよ」 やっと席についたゼイルは、ふと思い出してそう言った。 「そうなの? わたしも一つ質問があるんだ。…カルさんって、どういう字を書くの?」 リィネは佳瑠の前に紙とペンを差し出した。 「私の名か?」 さらさらと二文字、『佳瑠』と記される。なかなかの達筆である。 その裏側には、『ゴゴポゴ』だの『森夫』だのというわけの分からない文字の羅列があったが、まあそれはそれである。 「へぇ、何だか魔族みたいな字の名前ですね」 それを見たゼイルがとぼけたことを言った。佳瑠は一瞬目が点になった。 「…それは、何かの冗談か?」 「え? どういう意味です?」 ぶはっと佳瑠は噴出した。 「ほ、本気なのだな? なるほど、道理で私を恐れぬわけだ!」 ゼイルは相変わらずきょとんとした表情だ。 「だから、どういう…?」 『もー! 今更何言ってるんだよ!? どう見たって魔族そのものじゃないかぁ!』 たまらずにょろが声を発した。ゼイルはなおも間の抜けた言葉を続ける。 「…そう…ですか? 確かに黒髪で、おかしいなぁとは思いましたけど…。僕は白い肌の魔族って聞いたことがありませんでしたから…」 『じょ、上級魔族って、あんまり知られてないかもしれないけどさあ! おかしいと思ったら、普通警戒したりするんじゃないの!? それくらい自分で考えてよ、ばかぁ!』 ほとんど泣いているような声でにょろは叫んだ。 「す、すいません…。あの…泣かないで下さい…」 ゼイルはおろおろとリィネを見た。リィネはくすくす笑ってにょろの頭をなでてやった。 「まぁまぁ。落ち着いて、ね?」 にょろはそれで少し安心したようだった。 『…リィネは知ってたの?』 「佳瑠さんのこと? うん、知ってたよ。こんなにきれいな黒髪だもん。それに、一応そういう勉強もしてきたからね」 けろりとしてリィネは答えた。 「でも、悪い人じゃなさそうだからいいかなぁって思ったの」 『…うー。僕の心臓にはとても悪い人だよぉ…』 にょろはへたっといすに沈みこんだ。 「…えーと、上級魔族らしいもんを見たって情報が、このエリア内では三件。クェネン、アゼット、フォルティーユ。…ああ、このアゼットには勇者様が住んでいるそうだぜ」 「勇者?」 アルカスは、空になったグラスをテーブルに置きながら聞き返した。 もうすでに彼の顔はほのかに赤くなっている。…まだ一杯しか飲んでいないというのに。 「ああ。今日聞いた情報の中で、一番面白いのがこれだな」 グラティスは小さな手帳を開いて眺めている。 アルカスも横からそれを覗いてみたが、そこに記されているのはもはや文字ではない。記号だ。いや、むしろ暗号か? とにかく、書いた本人にしか解読出来そうにない代物である。 「一、二年前から、魔物退治やらなにやらをこなしている人物がいるそうだ。で、敬意を表して、この辺じゃそいつのことを勇者って呼んでいるらしいぜ」 「神殿の者じゃないのか?」 アルカスの言葉に、グラティスは首を振って否定する。 「違うな。この辺にそう頻繁に派遣されたなんてことは誰からも聞いていないし、それにこの人物は若い女の子だって話だ」 「女? でも、神殿の中にも女性の勇者くらいいるじゃないか」 「まぁな。けどそう多くないだろ? 彼女等が動いたんなら、俺たちの間でもっと噂になっていてよさそうなもんだ」 確かに、とアルカスも思う。神殿の中でも希少な存在である女勇者たちは、くしゃみをしたというだけでニュースになるほど珍重されている。 「なるほど…。となると、地元のヒーローみたいなものか…」 アルカスは首を振った。『勇者』という称号に誇りを持つ彼は、そういう『まがい物』をあまり好ましく思えないのだ。 「…だがそれがどうかしたのか? 今回の任務とは何の関係もないだろう?」 グラティスはにやり、と笑う。 「まぁ待て。面白いってのはこの先だよ。…その勇者とやらは『よくわからない魔法』を使うらしい。つまり、神聖魔法とは異なるもの。…俺が見たところこれは…」 「まさか…『召喚魔法』…?」 グラティスはアルカスの目を見て頷く。 「その勇者様が住む村に、上級魔族が現れたってわけだ。…な? 探索の手がかりくらいにはなりそうだろ?」 「モームル虫には、心臓によい栄養素が豊富に含まれていると言いますよ。薬の原料として使うところもあるくらいです」 ゼイルが妙な知識を披露して言った。 「そうなんだ? それじゃ、いっぱい食べなきゃね」 リィネはから揚げが盛られた皿を、にょろの近くへ移動させた。 『いーやーだー!! これはぼくの精神衛生上よくないから、食べたくないの!!』 慌ててにょろはその皿を押し戻す。 「好き嫌いしてると、大きくなれないよ?」 『好き嫌いとかいう問題じゃないと思うな、ぼく!』 「そう?」 『そうだよ!』 二人の会話は、永遠に続きそうな気配を見せ始めた。 「…ねぇ。それってやっぱり、好き嫌いって言わない?」 『違うーっ! リィネ…』 進展のない会話は、こほんという咳払いの音で中断させられた。 「…用件を言ってもよいか?」 そう言ったのは、黒髪の青年。全員の視線が佳瑠に向けられる。 「君に、頼みがある。我らの王を探し出して欲しいのだ。エルザリオの子孫…リィネ・ファレスならば、それくらい造作も無いことだろう?」 佳瑠の言葉に、リィネは大きな瞳をぱちぱちさせた。 「王様? それって、魔王様ってこと?」 「そうだ。引き受けてはくれぬか?」 『だ、駄目だよリィネ! 危ないよ!』 心配そうなにょろにリィネはにこっと微笑みかけ、佳瑠に視線を戻した。 「ごめんなさい。わたし、魔王さんのこと何も知らないから、自信ないな…」 「そ…、そう…か…」 佳瑠は、見ていても気の毒なくらい、がっくりとうなだれた。 「…何か、一つでも手がかりがあるといいんだけど…」 ぽつりと呟いたリィネの言葉に、佳瑠はぱっと顔をあげる。 「ある! 一つだけ、王を探す手がかりとなりそうなものが!」 そう言って彼が胸元から取り出した古い羊皮紙には、見慣れぬ紋章が一つ描かれていた。 2001.03.01. 今日、ぼくらの家に魔族の人がやってきました。何て言うか…つらいです。(にょろ) |
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