第六話『近づく運命の時』 担当者:そぼりん
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「これが、我らが王の紋章だ。本来ならばトップシークレットなのだが…」
 そう言って、佳瑠はテーブルの上に羊皮紙を広げた。一同がそれを覗き込む。
 そこに描かれている紋章は、リィネも見たことのないものだった。火・土・風・水・光・雷…どの属性の紋章とも似ていない。曲線と直線が絡み合う、複雑な紋章。
「うーん…わたしの記憶の中にもこんな紋章ないな」
「…そうか…」
 またもや佳瑠ががっくりとうなだれる。はたで見ていて気の毒なほどに。
「でも、手がかりにはなると思うから、気を落とさ…」
 ふっと、リィネがそこで言葉を切った。ゼイルが額を押さえて小刻みに震えているのに気づいたからだ。
「ゼイル君、どうかしたの?…気分悪い?」
『や、やっぱりモームル虫が悪かったんだよぉ〜』
「だったらわたしも気分悪くなってるはずでしょ。大丈夫、ゼイル君?」
「ええ…。大丈夫…です…。少し、頭痛が……」
 ゼイルは無理に笑顔を作ろうとしたが、うまくいかなかった。頭が、ガンガンと割れるように痛い。まるで、頭という殻を雛が内側からつついているようだ、とゼイルは思った。
「少し、休んだ方がいいのではないか?」
「は…」
 返事をしようとして、ゼイルが額を押さえながら佳瑠の方を見た。目が合った瞬間、黒曜石の瞳が見開かれる。
「?、佳瑠さん?どうかしたの?」
 リィネに呼びかけられ、佳瑠の目尻を縁取る青がぴくりと動いた。
「いや……。私が、彼を部屋まで運ぼう。そちらの奥でいいのか?」
「うん」
 そうして佳瑠はゼイルに肩を貸すと、一緒に奥の部屋へと消えていった。


 びょうびょうと吹き荒れる雪は、神の怒りを思わせる。そして、その怒りの前に、人間はただひれ伏すしかないのだ…。
 などと思っているのは、くそがつくほど真面目な魔法神官・アルカスだけであった。酒場の連中は、外の吹雪など気にする様子もなく、陽気に飲んで騒いでいる。目の前の真面目とはいいがたい武法神官も、またしかり。
「おおーい、こっち酒足りねーぞ。おっさん、酒追加だー」
 などと声を張り上げている。
 そんなグラティスの様子を、アルカスは赤い顔をしてぼうっと見ていた。もちろん、恋心ゆえの赤面ではない。酔っているのだ。
「…いつまで飲む気なんだよ。オレはもー飲まないからなー」
 そろそろ口調の怪しくなってきたアルカスのグラスに、グラティスはなおも酒をつぐ。
「お前ほんっと酒弱いな。まあ、お子様だから仕方ないのかな〜アルカスちゃん?」
「うるはい。オレはもう寝る。」
 からんでくるグラティスを押しのけ、アルカスはふらふらと立ち上がった。酒場の二階は宿屋になっており、そこに部屋をとってある。アルカスは千鳥足で階段へと向かった。しかし。
 ドン!!
 途中でガラの悪そうな酔っ払いにぶつかってしまった。
「おう、ニイチャン!!どこ見て歩いてやがんだ!!」
「ああ…すまない」
 素直に謝って二階へ上がろうとしたアルカスの腕を、酔っ払いが掴む。
「おうおう、待てよ。人にぶつかっといてそれで済まそうってぇのかあ?おーおー、痛ぇ、どうやら骨が折れたようだぜぇ」
「………」
 あまりにレトロな因縁に、呆れるアルカス。どうもアルカスはこの手の人種に絡まれる運命にあるらしい。
 サラサラの金茶の髪に、爽やかな青空の瞳。そして甘い顔つき。一見すれば、アルカスは育ちの良さそうな、ひ弱そうな印象を与える。もちろん、よく見れば彼の身体がいかに鍛え上げられたものであるかわかるのだが。
 そのアルカスの青い瞳は、「どーしてくれんだ、ええ!?」とまくしたてる男を見ているうちに、だんだんと鋭さを増していった。
「…骨が折れたー?」
「おお。こりゃあ慰謝料もらわ……なっ、て、いてええええ!!」
 男の悲鳴に、酔客たちが一斉にそちらを見る。男は、金茶の髪の青年に腕をひねり上げられていた。
「どこが折れてるんだよ。言ってみろよ、ああーん?嘘つきは魔族のはじまりって知ってるか?」
「そ、それ言うなら泥棒のはじまっりっ…、いっててってて、手ぇ離…せ…」
 男は自慢の腕力でなんとか手をはずそうとする。だが、男がありったけの力をふりしぼっても、ひ弱そうに見えた青年の手からは逃れられなかった。男を見下ろす青い瞳に、先程までの甘さはない。
「おまえはそーやって善良な市民から金を巻き上げてきたのか。この手で何人から金をとったんだー?」
「4、5人…っていてててて!!勘弁してくれええ!!」
 男が大声で許しを乞うた瞬間、強い腕がアルカスの手首を捉えた。
「バカ!!何やってんだ、離せ!!」
 グラティスの登場により、やっと男は解放された。アルカスはグラティスの手を払いのけ、じろりと彼を睨む。
「酒癖悪いガキだな。正義の味方の名が泣くぜ」
「あんだよ。邪魔すんな。オレは悪党と魔族が大嫌いなんだ」
「これじゃお前が悪党だろうが」
「うるはい。お前も成敗するぞ」
 その言葉に、グラティスの鋭いグレイの目が細められる。
「成敗、だあ? やれるもんならやってみな、素手で武法……っと、俺に勝てるんならな」
 すっと身構える二人の神官。周りの客が、ざわざわと騒ぎ始めた。


「……うっ…あ…たま…が…」
 ゼイルは転がるようにしてベッドに身を投げ出した。ぶるぶる、と震えがさらに大きくなる。
「頭、が…わ…れそ…っ…!」
 彼の苦しみ方は、尋常ではなかった。だが、佳瑠が声をかけるのも忘れて見入っていた理由は、その苦しみ方ゆえではない。ゼイルの瞳が、深い青の瞳が…どんどんと赤みを増していたからだった。
「……っあああ!!」
 ゼイルが叫び声を上げるとともに、彼から膨大な魔力が発せられた。その魔力の風に、佳瑠は一瞬目をつむる。やがて風がおさまり、再び目を開けたとき――――佳瑠は言葉を失った。
 目の前にうずくまるゼイルの髪が、赤茶色に変化していたのだ。
 いや、変化したのは髪の色だけではなかった。赤茶色の髪の間からのぞく、禍々しいまでに鮮やかな紅色の瞳。切れるように鋭い眼差し。そして、先程までの柔らかな雰囲気に変わる、膨大な魔力と威圧感!
 ゼイルであってゼイルでない男は、ゆらりと身体をおこすと、どっかりと足を組んでベッドに座りなおした。そして、無遠慮に…だがやや戸惑うように、こちらを見ている。
「まさか、あなたは……」
 しぼりだしたような声をだす佳瑠に、ゼイルは片眉を上げる。
「私を、覚えておいで、ですか…?」
 慎重に言葉を選ぶ佳瑠。だが、ゼイルは先程とは別人とも思える口調で言った。
「はぁ? 知らねぇよ。誰だお前」


 アルカスとグラティスは、取っ組み合いの喧嘩をしていた。グラティスがアルカスの上に馬乗りになれば、アルカスがわき腹に蹴りを入れて体勢を入れ替える。そのまま殴りかかろうとしたアルカスの腕を、今度はグラティスが極める。完全に極められる前に、アルカスが回転してそれをはずす。
 密命のことなどすっかり忘れた二人の神官(観客は神官だとは知らないが)のハイレベルな戦いに、酔っ払い客は大いに盛り上がった。
「でかい方に5万ゼニー!」
「おれは若い方に3万だ!!」
 などと賭けを始めている者さえいる。
 最初は互角に戦っていた二人だったが、だんだんとアルカスの旗色が悪くなってきた。それもそのはず、グラティスは、魔法を使わずに剣や体術のみで戦う“武法神官”なのだ。それも、勇者まで上り詰めたほどの実力者。
 途中まで武法神官として修行していたとはいえ、やはりアルカスは力や体力では彼にやや劣る。剣を持っての戦いならいざ知らず、取っ組み合いになってしまえば、魔法でも使わない限りアルカスは不利だった。もちろん、酒癖が悪いとはいえ、このようなところで魔法を発動させるほど、アルカスは愚かではなかったが。
 グラティスは起き上がりかけたアルカスを足をかけて再び倒すと、胸倉と右腕を掴んで彼にのしかかり、動きを封じた。スカイブルーとグレイの視線が、間近でぶつかる。一見すると危ない体勢だ。
「おら、そろそろ降参しろよ刺青野郎」
「だーれが負けるかー。この筋肉ダルマ」
「…しつこい野郎だな…」
 グラティスは、ちっと舌打ちする。いい加減さすがの彼も疲れてきたのだ。アルカスの素早さを封じ込めるために取っ組み合いの喧嘩に持ち込んだのだが、グラティスの予想以上にアルカスはしぶとかった。
(こんにゃろ、2年前より腕を上げてやがるってことか。だが…)
 グラティスはアルカスにのしかかったまま、ふっと視線を外し、入り口の方を見た。
「?」
 アルカスが訝っていると、グラティスがぼそりと呟いた。
「…魔物だ」
 と。
 ばっ、と反射的にアルカスがそちらを見た…と同時に、グラティスの拳が無防備に横を見るアルカスに振り下ろされた。
 ガツン!!
 鈍い音と共に、重い一撃がアルカスのこめかみにクリーンヒットした。さすがのアルカスもこれにはたまらず、意識を失った。
「…嘘だよ。まったく、腕は上がっても単純さと間抜けさだけは相変わらずだな」
 やっと決着のついた激しい戦いに、観客はわーっと歓声を上げる。グラティスはそんな歓声に喜ぶでもなく、軽々とアルカスを担ぎ上げて二階へと上がっていった。


『うわあああっ!!』
 にょろはモームル虫から無理矢理そらしていた目を大きく見開き、突然椅子から転げ落ちた。
「? にょろ、どうし…」
 あわあわと震えるにょろを助け起こそうとしたリィネの手が、ぴたりと止まる。
「……魔力?」
『す、すごい魔力だよぉ』
 リィネは椅子から下りて、腰を抜かしたにょろを抱き起こすと、奥の部屋のほうへと視線を向けた。
「…あそこから、だよね。どう考えても」
 びりびりと、肌を刺すような魔力がそちらから伝わってくる。まじりっけのない、魔族そのものの魔力だ。
『ま、まさかあの上級魔族が…』
 にょろの頭の中に、哀れな肉塊になったゼイルの姿が浮かぶ。そんな思考を読み取ってか、リィネはにょろの頭に優しく手をおいた。
「今さらそんなことするくらいなら、魔物からゼイル君を助けてくれるはずないでしょ。落ち着いて、にょろ」
『う、うん…』
 リィネの温かい手の感触に、にょろは少し冷静さを取り戻す。
「魔力に殺気はこもってないみたいだけど…。どうしたのかな」
『わかんないよ…』
 記憶喪失の男との同居、上級魔族の訪問、そして今の強い魔力の波。次々と襲い来る厄介ごとに、にょろは泣きたくなった。
 そんな哀れなにょろを、さらに追い詰めるリィネの一言。
「ちょっと様子を見に行ってみようか」


 頭の上に乗せられたつめたい感触に、アルカスは目を覚ました。
「お、目ぇ覚ましたか」
「…うるさい、ひきょー者」
 アルカスがベッドから半身を起こすと、濡れた布が額から落ちた。グラティスが介抱してくれていたのだろう。
「まったく、神官が騒ぎ起こしてどーすんだよ。って俺も思いっきり喧嘩買っちまったがな」
「…悪かったよ」
 アルカスはため息をつく。たしかに酔いがぬけて冷静になってみれば、とんでもないことをしたと自分でも思った。
「ま、そりゃあいいんだけどよ。お前…何イライラしてんだ?」
「何?」
 予想外のことを言われ、アルカスは空色の目を見開いた。グラティスは向かいのベッドに腰をかけ、窓の外を見ながら続ける。
「まあ、酒癖の悪さもあるだろーけどよ。何かお前イラついてんじゃないのか?」
「………」
「魔王様に、ビビってやがんのか」
 あいかわらず窓の外を見るグラティスの口調に、からかいや侮りはなかった。それがわかっているからこそ、アルカスも素直に答える。
「……それもない、とは言わない。正直、自信がないのは確かだ。だが、たとえ負けてもそれはそれで仕方がないとも思ってる。それも、神の御意志だからな」
「じゃあ、何なんだ?」
 グラティスは、やっとアルカスに目をむける。
「…わからない」
 アルカスは、首を振った。
「うまくいえないが…何か、…不安を感じているのかもしれない。魔王と“会う”ことに」
「……」
 アルカスにとって、因縁浅からぬ魔族。その王にこれから会うかもしれないというのだから、アルカスがナーバスになるのも無理からぬことだった。
 グラティスはそんなアルカスを弟でも見るような優しげな目で見て、金茶の髪をぐしゃぐしゃと撫でまわした。ぼさぼさになった頭を、アルカスがわざと不機嫌そうな顔をしてなおす。
「まあ、俺たちは神殿の命令に従うだけだ。それが、神官ってもんなんだからよ。お前が魔王に会って何を感じるのか、どうなるのか。そりゃあ会ってみなきゃわかんねえだろ。それこそ、神の御意志ってやつだぜ。それにアゼットにいるとは限らないんだ」
「…わかってる」
 アルカスは、曖昧に笑った。その肩を、グラティスがばんばんと乱暴に叩く。
「ま、実戦ではお前は俺より強いんだからよ。頼りにしてんぜ。ホレ、お天気も俺たちを祝福してくれてんだ、大丈夫だよ」
「…天気?」
 言われて、アルカスは窓の外を覗き込んだ。先程までの吹雪が、嘘のようにやんでいる。
 アルカスは、自分の中の迷いを断ち切るように、力強く頷いた。
「…そうだな。よし、明日、アゼットに向けて出発しよう」


2001.03.30.

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