第七話『誰』 担当者:あやにょ
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「というわけで、今のところは他の神殿に気付かれた様子はありません」
 中央神殿の最深部の一室。四人の人影が、部下からの報告を受けていた。そのうちの三人は白地に金の刺繍を施された神官長の位を表す衣服を着ている。
「ということは、民にも伝わっていないな?」
「もちろんです。ただ……」
 武法長の問いに、彼の子飼いの部下は報告書をめくった。
「北部・東部に派遣した者たちから、いくつか経過報告が来ております。なんでも、上級魔族が目撃されているとか。明日以降、それぞれ目撃された地点に急行するそうです」
「上級魔族……。それで事が済めばいいですが、下手をすると知れ渡ってしまいますよ」
 この場で唯一の女性である理法長は長い金の髪をつかんで頭を抱えた。年齢は三十代前半といったところだろうか。その表情からは、理知的というよりは神経質そうな印象を受ける。
「まだ静観の姿勢は崩せないな。あのとき何が起こったのか、それを見極めることが先決」
 最も年長である魔法長の言に、武法長も頬髭をさすりながらうなずく。
「『魔王かもしれない』と、勇者の称号を持つ者の半数近くを送り出した。あとは彼らの働き次第だろう」
「本当に魔王なのですか?」
 理法長がおののきを唇にのせて呟いた。
「本当に、魔王が降臨したというのですか?」
 武法長と魔法長は顔を見合わせた。そして、三者の視線はその場にいるもう一人、唯一、白地に銀の刺繍をあしらった服を身に纏うことを許されている者に向いた。
「それはボクの判断じゃないよ。神様の申されたことでしょ。でも確かに、これまでの上級魔族とは比較にならない……ような気がしたけど」
 その声も姿も、ずいぶん幼い。まだ十代半ばというところだろう。見事に白い髪、白い肌。しかしアルビノではない証拠に、その瞳は深い銀色をしている。服はもちろんだが、彼の持つその独特の色彩こそが、彼の地位を如実に示していた。
「大神官様、それでは、これまで現れなかった『より上級の魔族』が降り立った可能性も」
「あるとは……思うけど」
 どこかぼんやりした様子の幼い大神官に、魔法長は怪訝そうに問いかけた。
「キリエス様、どういたしました?」
「眠い」
 理法長は呆気にとられ、他の二人の長は苦笑した。
「もう夜も遅いですから、お先にお休み下さい」
「いいの?」
 キリエス大神官が目元をこすりながら尋ねると、魔法長は微笑んだ。
「ええ。私どもも今日はそろそろ終わりにいたします」
 武法長が部下に少年を寝室まで送るよう命じ、部屋には三人の長だけが残された。
「こんな事が露見すれば大変なことになるが、何もしないわけにもいかない。頭の痛いことだ」
「そもそもあの者に逃げられたのが大きな失敗だったのです!」
 理法長はややヒステリックに言ったが、魔法長と武法長は諦観しているようだ。
「理法長はあのときまだ任に就いていなかったから知らなくても当然だが、あのとき、あの場にいた神官が束でかかってもかなわなかったのだ。いまさら悔やんでもどうにもなるまい」
「あの者を見たことはあります。そんなに強いとも思えませんでしたが?」
「本人はな」
「……?」
 怪訝そうな同僚に魔法長が何か言いかけたその時、ドン、と鈍く大きな音がした。
「……今のは?」
 回廊の方から聞こえた。回廊は……寝室へ帰る途中の大神官がいるはず。
「行ってみよう」


 リィネとにょろは「もしもの時のための七つ道具」を装備して、扉の外側で聞き耳を立てていた。しかし、中の会話はあまりよく聞き取れない。
「……なんか言ってるみたい」
『リィネ〜、怖いよう、危ないよう、嫌な予感がするようっ』
「にょろはあっちでお片づけしててくれてもいいよ?」
『やだ! モームルに触るのなんて絶対やだ!』
 ぶるぶるぶるっ、と少年は頭を振った。この部屋に来ることもいやだったが、順位を付けるならリィネを守ることが最優先だ。結果として、にょろはリィネについてくるしかなかったのだが、気分は複雑であるらしい。守るべきリィネの背後で震えている有様だ。
「ま、とりあえず入ってみましょ〜」
 コンコン。
 おざなりにノックする。返事を待たずに開ける。
 そう広くはない部屋に、男が二人。ゼイルと佳瑠だ。しかし、様子がおかしい。
 リィネの目は、強大かつ純粋な魔力の発現の痕跡を捉えた。しかし、その発生源は佳瑠ではなく、その奥のベッドに腰掛けて、自らの手を不思議そうに見たり、顔をぺたぺた触ってみたり、赤く染まった長い髪を手に取ってみたりしている青年のようであった。現に、純度の高い魔力が今も、その身から溢れ出ている。
 リィネと同じように魔力の出所を察知して、にょろは息を呑んだ。
(こ、これって)
 後ろで凍ってしまったにょろには気付かず、リィネは首を傾げた。
「どうしたのゼイル君、目が充血してるよ?」
『リ、リィネ〜〜』
 にょろは脱力しながらもリィネを止めようとするが、彼女の方は聞いていない。
「髪の毛もどうしたの? なんか真っ赤だけど」
『リィネってばああああ』
 にょろは頭を抱えた。
 この男を森で見つけたときに感じた違和感。奇妙な感覚の正体。今わかった。これだ。この魔力だったのだ。
 どう考えたって、この魔力がゼイルの姿を変えてしまうほどに作用したとしか思えない。リィネがわからないはずはないのに、どうしてこんなにボケた発言をしてくれるのか。
「なんだ、お前ら?」
「ゼイル君?」
 口調が異なることを奇異に思って歩み寄ろうとしたリィネを、片手で制した者がいた。佳瑠だ。どこか呆然としている。
「リィネ殿、この方だ」
「はい?」
「この方が、私たちが探している……魔王。我らの王だ」
『ひゃあっ!?』
 にょろは後ずさり、部屋の隅で腰を抜かした。リィネはどんぐりまなこをぱちぱちさせた。
「本当?」
「口調は似てもつかないが、あの方は紅の色彩を纏っておられた。まちがいない」
「けど、髪も目も赤いよ? 本当に魔族なの?」
「我らの王だ」
「間違いなく?」
「間違いない。こんな純粋な魔力、ただの魔族には保持できない」
「そういうものなの?」
「そういうものだ」
「ふうん」
 静かに、しかし深く確信している佳瑠に、色彩だけが違うゼイルの姿をした何者かは剣呑な視線を向けた。
「さっきから聞いていれば好き勝手言いやがって。誰が魔王だぁ? コラ」
「あなたが」
「俺はそんなもんじゃねぇっ」
「では何だとおっしゃるのです?」
 冷静に返す佳瑠に、男はふと真顔になった。
「……俺、誰だ?」
 男はそれきり黙り込んでしまった。
 男が沈黙してしまったので、リィネはこそこそ声で佳瑠に話しかけてみた。
(ねえ佳瑠さん、本人は覚えてないみたいだよ)
(おそらく、身体に入り込んだときの衝撃によるものだろうと思うが……)
(入り込んだ?)
(王は元々、実体をお持ちではないのでな)
(ってことは、身体は魔王さんのじゃなくて、ゼイル君のってことだよね)
(そうであろうな)
(じゃあ、ゼイル君も魔王さんも記憶がないんだね。大変だぁ)
(彼…ゼイル氏も記憶がないのか? ああ、それで、なんだか曖昧な話をしていたのだな)
(うん。ええと、それじゃあ……)
「そ〜う〜だっ」
 リィネは突然弾んだ声をあげると、ベッドに腰掛けたまま腕を組んで思索に耽る男に声をかけた。
「ねえ」
「……」
「ねえねえねえねえ」
「……」
「ねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえね」
「だぁぁぁっ、うるせえっ! 人が真剣に考え込んでるときに、なんだってんだ」
 不機嫌な男に向かって、リィネは目を輝かせて言ったものである。
「森夫君って呼んでいい?」
「はぁあ?」
 脈絡のないリィネの言葉に、赤毛の男は素っ頓狂な声をあげた。
「だって、一人で二つの性格なんでしょ。区別しなきゃわかりにくいもの。だから、森夫君って呼んでいい?」
「……なんでその選択肢しかねぇんだよ」
 不機嫌そうな男に、リィネは説明もとい主張する。
「だって、魔族かもしれないんでしょ? それに、結構気に入ってるんだ。響きがいいし。なんであのとき魔族みたいな名前思いついたのかわからなかったんだけど、きっとこの時のためだったんだよね」
『…絶対違うと思う』
 立ち上がる気力もなくしたにょろは、部屋の隅からあきらめと疲れの入り交じった声でつっこみを入れた。その声をかき消す男の声。
「冗談じゃねぇっ!」
「ねえ、魔王さんの本当の名前はなんて言うの?」
 恐れを知らぬリィネの行動に口も挟めず呆然としていた佳瑠は、話しかけられて我に返った。
「……名前、か? 残念ながら、存じ上げない」
 魔族の答えに、リィネは首を傾げた。
「じゃあ何て呼んでたの?」
「魔王とか、我らの王とか、……そのようにお呼びしていた」
「じゃあやっぱり、魔王様って呼ぼうか」
 赤毛の男は怒鳴った。
「ざけんじゃねぇっ!!」
「なんでそんなに嫌がるのかなあ」
「俺は魔王なんかじゃねえっ。森夫なんて名前も嫌だっ」
 ひとしきり男はわめいていたが、
「そうか、これは夢だ」
 はたと手を打って、右手を動かす。人差し指で無造作に迷いなく描かれた、赤い光の残像。それが略式の風の紋章だとリィネが気付いた瞬間、男は消えていた。
「え?」
『な、なにするのさぁっ!』
 にょろの悲鳴を聞いて振り返ったリィネは目を見張った。
 男はリィネの後方、部屋の隅でへたりこんでいたにょろを捕まえていたのだ。
(呪文の詠唱なしに、あんな略式の紋章を描くだけで、瞬間移動?)
 空間を歪めるような大きな術は、安全性を考慮して詠唱と紋章を併用するのが普通だ。というよりはむしろ、略式の紋章のみでは普通無理だ。上級魔族の佳瑠ですら難しいはず。
 しかし、目の前の男は造作もなくやってのけたのだ。
(……変態ね)
 にょろはジタバタ暴れて抵抗していた。
『離せぇ〜〜〜っ、ひぃぃぃっ』
「やっぱりこういうときは確かめてみねぇとな」
 男は呟くと、にょろの両頬をぐにっと力一杯つねった。
『い、いひゃひゃひゃひゃ、ば、ばうひゃうふぁんはひ〜っ』
「うん、痛くねぇな。やっぱり夢に違いな…」
 ごんっ。
 鈍い音が部屋に響き、ゼイルは倒れた。解放されたにょろがあわてて逃げる。
 隠し持っていた特大フライパン(凶器仕様)を抱えて、リィネが微笑んでいた。
「夢じゃないってば森夫君。痛かったでしょ?」
 ゼイルの返事はない。佳瑠があくまで冷静に事態を分析する。
「気を失ってしまわれたようだ」
 当たり前である。
「しばらく寝かしておいたら元に戻るんじゃない?」
「大胆な……」
(さすがというか何というか、恐れを知らない行動の数々。これはまさに……)
「ほら、髪の毛が茶色くなったし。起き出すまで眠らせておいてあげようよ」
(さすがエルザリオの血を引く者だ)
 佳瑠はそんなことを思い、ひそかに舌を巻いた。
「で、佳瑠さん、これからどうしようか?」
「うむ……あの分ではすぐに連れ帰るというわけにもいかないであろう。とりあえず明日一日様子を見て、仲間を呼び寄せておこうと思うが……良いだろうか?」
「うん、どうぞ。ゼイル君が作ってるあの家が出来れば、人数多くても泊まれると思うし」
 家主になるはずのゼイルの意向を聞きもせず、リィネは即決した。
「……さて、ゼイル君は寝ちゃったし……」
 リィネは部屋の隅でまだ痛そうに頬をさすっているにょろの姿を視界に捉えて、にっこり笑った。
「にょろ、一緒に夕飯片づけちゃおうね」
『え、や、やっぱり僕がやるの……?』
 佳瑠が静かに言った。
「私も手伝おう」
『ひぇぇぇぇっ』
「あ、でも片づける前に、ちゃんと唐揚げ食べるんだよ?」
『リ、リィネ〜〜〜〜〜〜っ』
 にょろの長い夜はまだまだこれからのようである。
(それにしても、なんか忘れているような気がするんだけどなぁ……)
「リィネ殿、少年が怯えてしまって仕事にならないのだが」
「あ、ちょっとまってね」
(ま、いっか)
 彼らはまだ気付かなかった。
 なぜ魔王がここにいるのかという、根本的な問題に。


 部屋へ帰ろうとした大神官が、回廊の途中で突然足を止めた。武法神官は訝しく思って、声をかけた。
「どうかいたしましたか?」
 返事はない。もう一度、声をかけてみる。
「大神官様?」
「うるさい」
 ドン、という音がした。それと同時に、男は腹部と背中と後頭部に強烈な痛みを感じた。腹部に何かがぶつかって、壁に自分が叩きつけられたのだということに気付く間もなく、武法神官は気絶した。
「……紅の……予言、終わりの日……」
 まもなく駆けつけた三人の神官長は、武法神官が倒れているのに驚いた。この男も勇者の称号を得た、上級神官。生半可なことで倒されるはずがない。
「おい、どうした!」
「何があったの!?」
 声をあらげる武法長と理法長を、魔法長が止めた。
「待て。……あの方が降りておられる」
 淡く白い光が、大神官の周囲を取り巻いている。三人はあわててその場にひざまずいた。
 その三人を気にもとめずに、誰にも聞き取れないほどの小声で、「それ」は呟く。
「……奴が来たか」
 空を見上げて、幼い顔に驚くほど残酷な笑みを浮かべた。
「面白いことになりそうだ……」


2001.04.17

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