第八話『魔王城…?』 担当者:えいちけいあある。
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「これがゼイル君のお家だよ」
 リィネの言葉に、佳瑠は呆れ顔を作った。
「…これが?」
 試しにそっと触れてみる。大して力を入れてもいないのに、壁は哀れな音を立てて傾く。
 佳瑠の眉間にしわが寄った。
「…すまないが、リィネ殿。これを家と呼んでもよいものだろうか? 私には少々疑問なのだが…」
「え、そうかな?」
 リィネは軽く首をかしげた。
 長い長い夜が明け、朝が訪れていた。夜半過ぎに吹いた風は、村向こうの山に掛かる雲も、残らず運び去ったようだ。春の日差しに近い柔らかな光が、辺りを照らしている。
「二人ともここにいたんですか」
 背後から声が掛かった。リィネの手首で、ブレスレットがおびえたようにびくんと震える。
 振り返ると穏やかな雰囲気の青年が、こちらへ向かって微笑んでいた。
「おはようございます。目が覚めたら誰もいないから、驚きました」
「あ、おはよー。…えーと、ゼイル君?」
 微笑み返しながら、リィネは僅かに語尾を上げた。
「はい?」
「…大丈夫?」
「何がですか?」
 ゼイルはきょとんとした表情になったが、すぐに何かに思い当たったのか、納得したように頷いた。
「ああ、頭痛ならもうすっかり…。でもおかしいんですよ。代わりに大きなたんこぶが出来ていたんです。奇妙なこともあるものですねぇ」
 あははと笑ったゼイルを見て、佳瑠はふぅとため息をついた。
「そう? 元気ならいいんだけど…。それじゃ、そろそろご飯にしよっか?」
 リィネの言葉で、三人は家に向かった。
「あれ? そう言えば…」
 ゼイルはふと気付いて周囲を見回した。
「今日はにょろさんを見かけませんね?」
「うん。あの子何だかいじけちゃったみたいなの」
「そうなんですか? 一体何があったんでしょう」
「…ああ見えて、少年も難しい年頃なのだな」
「……もしかして恋の悩みとかでしょうか? 水臭いな。相談くらい乗るんですけどね」
 勝手な方向に突き進む彼らの会話に、リィネのブレスレッドが怒ったようにカタカタ揺れたが、幸い誰の目にもとまらなかったようだ。
 家に辿り着くとゼイルは無意識に台所へ向かおうとした。まさしく『家事見習い』の鑑と言えよう。しかし、リィネに
「ゼイル君は病み上がりだから今朝はわたしが準備するよ。すぐ終わるから、二人ともちょっと待っててね〜」
と引き止められ、彼は佳瑠とともにリビングに残ることになった。
 ソファに腰をおろした佳瑠は、正面に座ったゼイルをじーっと見つめて、何度もはぁとため息をつく。
「? どうかしましたか? 僕が何か?」
 明らかに落胆したようなその姿に、あくまでも穏やかに、おっとりとした口調で彼は尋ねる。佳瑠はゆっくり首を横に振った。
「いや…君のせいではないのだから…仕方がないことなのだが…」
(…昨夜の『王』との、このギャップ。慣れるほかないのだろうか…)
 もう一度ため息をついて、佳瑠は頭を切り替えるように違う話題に移った。
「…しかし、あれを修理するとなると…かなりの時間が掛かりそうだな」
 二人の目は自然に、窓の外…五十グレーザ先にある半壊の建物に向く。…いや、ほぼ全壊と言っても差し障り無いかもしれない。
「あはは、見ました? そうなんですよ。僕一人じゃ何日掛かるか分からないんですよね。いつまでも居候じゃ、リィネさんたちに悪いなと思っているのですが…」
 ゼイルは腕を組んで続けた。
「やっぱり、設計から始めないとどうしようもないと思うんです。幸い材木には困らないようですし、一度図面に起こして…」
「設計から?」
「はい。下手に修理を考えるより、よほど早いような気が…」
「…ふむ。ゼイル殿は博識なのだな。家屋の設計についても学があるとは」
 ゼイルは感心したような佳瑠の言葉に、一瞬目を大きく見開いた。そしてすぐにうつむいてしまう。
「…僕、どうしてこんなことばかり知っているんでしょうね? 自分のこともよく分からないというのに…」
「…まぁ…知らない方がよいこともあるが…」
 佳瑠はふぅとまたため息をついた。


「ねぇにょろ。今日はずっとそのままなの?」
 リィネは台所で朝食の準備をこなしながら、小声で話し掛けた。
『…だって怖いんだもん』
 拗ねたような声が返ってくる。
 リィネの腕で金色のブレスレットがするりと滑って、一本の細いひも状になった。そして、片方の端をゆっくり持ち上げ、つぶらな両目でリィネをとらえる。それはまるで、小さなへびのような姿だった。
「怖いって…ゼイル君が怖いの? どうして?」
『どうしてって、そんなの決まってるじゃないかぁ…』
 にょろはため息をついた。
 思い出すだけで凍りつきそうな、魔力の嵐。あの中にいてどうして平然としていられるのか、にょろの方が聞きたいくらいだった。
「ゼイル君も森夫君も、悪い人じゃないから大丈夫だよ」
『何でそんなこと分かるのさ?』
「うーん、…勘かな?」
『…やっぱり』
 にょろは小さく首を振った。
『ぼくはしばらく留守ってことにしておいて!』
 リィネは大きな瞳をぱちぱちさせた。
「そう、残念。今日の朝ご飯、にょろが好きな特製オムライスだったのに…」
『あ、あ、やっぱ今の取り消し!』
 弾むような声とともに、辺りに一瞬光が満ちた。


「ホントいい天気だな。今のうちに山を下りちまおうぜ?」
 グラティスは宿兼酒場である建物の扉を開け放った。外は一面の白。太陽を反射して、眩しく輝いている。
「…何でオレがお前の分まで…」
 ぶつぶつと文句を言いながら、アルカスが支払いを終えて歩いてきた。不満気な瞳を、じっとりとグラティスに向ける。
 グラティスは、さも当たり前と言うような表情でそれに答えた。
「ん? そりゃあ、お前が俺に負けたからだろ?」
「こんな約束、した覚えがないんだけどな」
「おいおい。負けた方が全額払うってのは、俺らの中じゃ暗黙の了解ってやつだろ? 小っちぇーことでぶつぶつ言うなよ」
「な…」
 アルカスは言葉に詰まった。確かに神殿内の訓練では、昼食代をかけての勝負が日常的に行われている。しかし、何か腑に落ちない。
(…確かにオレは勝負には負けた。…でもそれはこいつが卑怯な手を使ったからだ。…けど喧嘩の原因はオレにある。…だが酒を飲んでいなければあんなことには…)
 グルグルと思考をめぐらす。結局どちらが悪かったのか分からなくなってきたところで、
「おー! 兄ちゃんたち!」
急に背中をバンバン叩かれ、アルカスはよろけた。
「昨日は面白いもん見せてくれてありがとよ! おかげで儲けさせてもらったぜ?」
 この店の常連客らしいその親父は、グラティスに向かってにぃと笑った。
「そうかい。んじゃ、次来た時にうまい酒でも奢ってくれよ?」
 グラティスは太い腕を親父に差し出して笑った。
「おぉ、もう旅立つのか? 残念だな」
 親父は実に名残惜しそうにグラティスと握手を交わした。
「また来てくれよ、面白いあんちゃんたち!」
 別の男からも声が掛かる。
「今度はゆっくりしていってよね」
 食堂の店員らしい女性が奥から出てきて笑顔を見せる。
 気付くと、いつの間にか二人は昨夜のギャラリーにぐるりと取り囲まれていた。
 こうして、『目立たないように行動しよう』というアルカスの願いは、またしても叶わないのだった。
 …まぁ、今回は自業自得な部分が大きいようだが。


「さてと」
 パンパンと手についた埃を払うと、少女は満足そうに地面を眺めた。
 土には、脇に落ちている木の棒で描かれたらしい奇妙な紋様があった。
「…なぁサジャ。これってどう見ても風の紋章だよな」
「見れば分かるでしょ? そんな当たり前のこと聞かないでよ」
 サジャは切り株に腰をおろしている少年を見た。
「…つーかさ。お前、風の召喚獣持ってた?」
「持ってないよ」
 サジャの言葉に、少年はあからさまに苦い表情になる。
「………なぁ、どうしておれを呼んだわけ?」
 サジャはにっこり笑って…ただし有無を言わせないような迫力込みで…少年に告げた。
「昨日の続き。クジーレ様の命令だもん。もちろん手伝ってくれるよね? シェリ」
「…お前って鬼だよな…」
 シェリと呼ばれた少年はけだるそうに立ち上がり、サジャが描いた紋章の中央に立った。
「何か奢ってくれるんだろうな?」
「やだ」
「…聞いたおれがばかだったぜ」
 すっと目を閉じ、心に風を思い浮かべる。それがある程度形になったところでシェリは静かに口を開き、詠唱を始めた。
「……シェリ・エウルの名と血の下に命ず。風のごとく舞い、空を翔ける者――契約者≪フェルエド≫、我の呼びかけに答えその姿をここに現せ!」
 ぱりん!
 乾いた音が周囲に響き、しなやかな四肢を持つ青白色の巨大な獣が、軽やかにシェリの前に降り立った。
「…うー、二日連続は辛いぜ…」
 シェリは≪フェルエド≫の背中にぐったりともたれかかって呟いた。
「シェリ偉い! それじゃ早速、今日は南と西に向けてしゅっぱーつ!」
 恨めしげにサジャを見る主人の顔を、哀れむように召喚獣が舐めた。

 数時間後、二人は大陸はるか南の、ダイジェンという町に降り立っていた。
「…噂なんだけどさ」
 内緒話にしては割と大きな声で、サジャが切り出した。買い物客で賑わう商店街の一角である。
「誰かが町の外れで、黒髪の人を見かけたんだって」
「え!? マジかよ。それって魔族ってやつだろ?」
 シェリが大袈裟に驚いてみせる。周囲の視線が、自然と二人に向けられた。
「でも聞いた話だと、その人、肌の色は白いんだって。…そんな魔族っている?」
「…上級魔族…?」
 誰かがぽつりと呟いた。不安気な空気が辺りを支配し始める。
(よし。これでここの噂は放っといても広がるだろうから、次は…)
 サジャは残り僅かとなった『魔王召喚候補地』を脳裏に浮かべた。


 手馴れた様子でゼイルが部屋の間取りや寸法を紙に記していくのを、リィネは覗き込んだ。
「あ、ここにもう一つ部屋を作ったほうがいいと思うよ」
「え? どうしてですか?」
 ゼイルは手を止め、リィネを見上げた。
「佳瑠さんの部屋。だって、こんなに土地が広いのに、同じ部屋で寝泊りするのもおかしいでしょ?」
 リィネが当然のことのように答える。
「え? え? 佳瑠さんも一緒に住むんですか?」
 ゼイルは目を見開いた。
「昨夜、王…いや、君が気を失ってからそう決まったのだが…」
 決まり悪そうに語尾を濁した佳瑠を、怪訝そうにゼイルは見た。
「…? まだ何か?」
「………仲間が来る」
「お仲間が…? えっと、やっぱりその方たちも僕の家に…?」
「まぁ…そういうことになるな」
「…そうですか。それじゃ、もっと余裕を持って設計しなおしますね。それでそのお仲間は何人いらっしゃるんですか?」
 とんとん拍子で周囲に魔族が増えていく。
『…もうやだ』
 思わず呟いて頭を抱え込むにょろなのであった。

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