第九話『荒野の戦い』 担当者:そぼりん
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「ゼイル君、お昼ご飯もうすぐできるよ〜」
「あ、はい。今行きます」
 リィネが窓から呼ぶと、ゼイルは振りかえって笑顔で答えた。石を運んで家の土台を作っていた手を止め、ぐきぐきと身体を動かす。その動きに合わせて、額の汗が太陽光に反射してキラキラと光っていた。
「あれ? そういえば佳瑠さんは? 珍しいね、佳瑠さんがお手伝いしてないなんて」
「ああ…彼なら“用があるから”と森の方へ入っていきましたよ」
「そっか。じゃあにょろ、ちょっと呼んで来てくれる?」
 すでに椅子に座って食べる用意万端だったにょろは、両手に握っていたナイフとフォークをとり落とした。
『な、なんで僕なのさあ〜』
「だってゼイル君はどろんこだから着替えなきゃいけないし、私もお料理の仕上げが残ってるし。それに佳瑠さんの魔力にはにょろが一番敏感なんだから、探しやすいでしょ? ね、お願い」
 リィネにお願いと言われてしまってはにょろは断れない。しぶしぶと椅子を降りて出て行く。
「やあ、にょろさん。佳瑠さん呼びにいくんですか? 僕も一緒に行きましょうか」
『…いい』
 佳瑠も怖いが、このゼイルはもっと怖い。先日のように、いつまた“森夫”になるとも知れないのだ。
「そうですか?」
『うん…じゃ』
 にょろは逃げるように、森の中に入っていった。
「…? うーん…僕って嫌われてるんでしょうか…」
 一人つぶやいたゼイルの言葉は、ある意味当たっていた。

 リィネの言う通り、にょろは魔力には非常に敏感だった。初めてゼイルを見つけた時、違和感を感じたのもそのためである。
『あ…こっちか。…やだなあ…』
 ぶちぶち文句を言いながら、確実に佳瑠の魔力を探り当てて行く。そもそも上級魔族は魔力が強いため、むこうが魔力を抑えてでもいない限りは探しやすいのだ。
 そうしてにょろがガサガサと草を分けて進んだ先に、佳瑠はいた。
 目を瞑り、両手を広げて何事かをつぶやいている。風もないというのに、長く艶やかな黒髪はゆらゆらと揺れ、ロングコートの裾もはためいている。美しくも幻想的な光景である。
 佳瑠を中心に“何か”が波紋のように広がっているようだったが、それが何かまではにょろにはわからなかった。
 佳瑠はにょろに気づくと、ふっとその動作を止めた。黒曜石の瞳で見つめられ、にょろが凍りつく。
「どうした? 少年」
『リ、リィネが…ごはんだって…』
「ああ…そうか。では帰るとしよう」
 佳瑠はそう言って歩き出す。彼がいた地面を見ると、土の上に何かの紋章が描いてあった。
(なんだろう…?)
「闇の紋章だ」
 疑問を口に出して言った覚えは無いのに、佳瑠はあっさりと答えた。にょろは“まさか心の中まで読めるんじゃ”という不安にとらわれる。
 さらにその思考さえも読んだかのように、佳瑠は足を進めながら続ける。
「心を読んだわけではない。物珍しそうに見ていたからな。…それは思念波で仲間を呼ぶためのものだ。純血の魔族にしか感じ取れない」
『………』
 返事をしないにょろに気を悪くするでもなく、佳瑠は彼の前を歩く。少し離れて、にょろも続いた。
(やっぱり怖いよ、この人…)
 この佳瑠は物腰も柔らかいし、理知的で危害を加えるような真似もしない。怒っているのも見たことがない。おそらく、魔族の中でもこの佳瑠は相当穏健派なのだろう。
 だが、その知性や冷静さ、そして消し去ることのできない圧倒的な存在感が、この佳瑠が雑魚魔族とは格が違うということを知らしめていた。
(こ…こんなのがもっと増えるのかなあ…)
 にょろはこのまま森の中に逃げ去りたい衝動にかられた。もちろん、リィネ一人を残してそのようなことをできるはずもないのだが。
 にょろは、そっとため息をついた。


 ガサガサガサ。
 黒い髪に褐色の肌を持った“人物”二人が、雪のうっすら積もった獣道を分け入っていた。
「なあ…本当にこっちでいいのか? 羅威(ライ)」
 くせっ毛の少年が、不安そうに問う。羅威と呼ばれた学者風の青年は、丸眼鏡をかけ直しながら笑顔で答えた。
「ええ、間違いありませんよ。たしかにあちらの方角から佳瑠様の思念波を感じました」
「だからって、感じた方向にまっすぐ進むこともないだろぉ? 世の中には道ってもんがあるんだぞ。枯れ枝が引っかかって痛いし、地面はぬかるんで汚いし」
「いいじゃありませんか、近道で。魔族が泣き言など言うものではありませんよ、芙宇(フウ)」
 羅威は緩く編んだ髪に刺さった小枝を取り払うと、また獣道を歩き出した。文句を言いながらも、芙宇が続く。
 ガサガサガサ。パキッ、ガサガサ。ズルッ、ガサガサガサ…。
「ああ〜っ、もう! こうなりゃ“勇者”とやらに見つかろうが関係ないって! そんなもんやっつければいいだろう!? 飛んで行こう、羅威!!」
 いい加減我慢のきかなくなった芙宇が風の紋章を描こうとするのを、羅威が腕を掴んで止めた。
「落ち着きなさい、芙宇。この山を下りきれば、ほら…」
 羅威が示した先には、だだっ広い平地が広がっていた。

「なあ…本当にこっちでいいんだろうな? グラティス」
 アルカスの少し前を歩いていたグラティスは、ウンザリ顔で振り返る。
「いいつってんだろ。この山を迂回すれば、平地に出られんの。そこを真っ直ぐ北へ行って森を抜ければ、アゼットだ」
「山道を突っ切っていった方が、近道じゃないのか?」
「バーカ。ガキの発想かそりゃ? この季節は特に道悪ぃんだ。道も出来てないような山道に入るほうが遠回りなんだよ。わかったら黙ってついてきな、刺青野郎」
 アルカスは半分だけ納得して、グラティスの後を歩く。そもそもアルカスは方向感覚にあまり優れていないのだから、グラティスに文句を言える立場ではないのだ。やはり卑怯な手段でおごらされたことを根に持っているのだろう。
 だがアルカスはそれ以上は何も言わず、黙ってグラティスの後をついて歩いた。そのまま、二人とも無言で足を進める。
 そうして1時間ほど歩いた時。
「!!」
 突然、アルカスが足を止めた。
「? 何やってんだ? もうすぐ平地に出る…」
 振り返ったグラティスは、アルカスの表情を見て言葉を切った。
 立ち尽くすアルカスの表情からは、いつもの間抜けたような甘さが抜け落ちていた。かわりに、殺気にも似た闘気が剥き出しになっている。
「アルカス…どうした?」
「…魔力の気配がする。近い」
 低い声で唸るように言うアルカス。グラティスはわずかに目を見開いたが、それ以上驚くことはなかった。
「どこだ?」
「おそらく…その平地だ。…複数かもしれない」
「そうか…」
 戦歴は自分の方が長いというのに、グラティスは魔族の存在に気づくことができなかった。魔法神官であるアルカスの方が感知能力に優れているのは事実だが、グラティスとて決して鈍いわけではない。そもそも、まだ魔力を感じ取れるような距離ではないはずなのだ。
(憎しみゆえ、か…? コイツと練習以外で共闘するのは初めてだが…)
 まるで野生の獣のようだと、グラティスは思った。
「行くぞ、グラティス!」
「おお」
 二人は平地に向かって走り出した。

「やっと山を下ることができましたね。さあ、行きましょうか」
 そのままスタスタと歩いてゆく羅威を、芙宇が止める。
「ちょっと待てよ。人目につく所を歩くなら、色をごまかしておいたほうがいいんじゃないのか? せっかく飛ばずに頑張ったんだから」
「ああ、そうですね。忘れてました」
 見た目どおりではない相棒にため息をつきながら、芙宇が闇の紋章を己の体の上に描く。羅威も、同様に己の胸のあたりに指を走らせた。
 二人の身体を闇が包み込み…それが消える頃には、二人とも茶色の髪と瞳に白い肌を持った、“人間”に化けていた。魔力も、極力抑える。
「さ、これでいいでしょう。行きましょうか」
「ああ。……ん?」
 300グレーザほど向こうの山陰から走ってくる二つの影に気がつき、芙宇が足を止めた。
「人間がこっちに向かってくる。…勇者とやらかもしれない。気をつけろよ」
「そうですか。ではもっと魔力を抑えて、善良な市民を装いましょう」
 どこかズレている気がしたがあえてつっこむことは止め、芙宇も魔力の気配をほぼ完全に消し去る。そして、そのまま二人の人間が辿り着くのをおとなしく待った。
 ほどなく、二人の男が彼らのもとに到着した。一人は薄青の額布をし、同色のマントで全身を覆った若い男。もう一人は、背中に大剣を背負った逞しい男である。
「こんにちは。僕らに何か用?」
 若い方の男――アルカスはスカイブルーの瞳を目を細めながら何かを探るような目をした。芙宇は動揺もせずに答える。
「用がないんなら、行ってもいいかな? 僕らはこれからちょっと用があるんだ」
「そうです。これからちょっと魔王様に会いに」
 羅威の言葉に、その場が一瞬静まり返った。だが、やがて言葉の意味を理解した人間二人が、剣に手をかける。
「やはり貴様らは魔族か…!」
「へえ…しかも魔王様だって? どうやら俺らが当たりクジだったみてぇだな」
 芙宇は殺気立つ人間二人をよそに、間抜けな相棒の胸倉を掴んで怒鳴りつけた。
「なんでお前はそう見かけと違ってバカなんだ!? そんなこと言ったらまやかしだの魔力抑制だのの意味がなくなるだろが!!」
「ああ、そうですね。つい」
「“つい”ですむか!!」
「すみませんねえ…。まあ、こうなったらそちらの方たちと決着をつけるしかないですね。私はどちらでもいいんですが、そちらがやる気たっぷりのようなので」
 羅威があごで示した先では、アルカスとグラティスが戦闘態勢に入っていた。グラティスは剣を抜き、アルカスは集中状態に入っている。
 羅威と芙宇は、もはや無意味となった変身を解くと、その魔力を解放した。
「佳瑠様はいい顔をなさらないでしょうが、正当防衛ということで。お相手いたしますよ」
 羅威は丸眼鏡をはずし、切れ長の目を細めて笑った。魔族特有の迫力と、酷薄さを含んだ表情である。
「あ〜あ…。せっかくあんな道をコソコソ歩いてきたっていうのに。アホな相棒のおかげで、無駄骨になったな」
 言いながら、芙宇が両手に風の紋章を指で描く。こちらもすでにやる気になっていた。
 相対する4人の間に、ぴりりとした緊張感が走る。
「グラティス…」
「なんだ?」
「魔力はあの三つ編み野郎が上、身体能力は…おそらくだが小さい方が上だ。俺が三つ編みをやるから、そっちの少年風のを頼む」
「ま、相性を考えりゃ当然そうなるな。いいぜ」
 アルカスは小さく頷くと、腰に差した剣を抜いた。スラリという金属の擦れ合うような音が、静寂の荒地に響く。
「神の名の元に…」
 この一言が、戦闘開始の合図になった。
 まず走り出したのは、グラティスだった。巨体に似つかわしくないスピードで、少年風の魔族―――芙宇に迫る。
風の刃よ、我が手に!!
 芙宇の鋭い声と共に、彼の両手に半透明の風の刃が宿った。そのまま右手を突き出し、グラティスの剛剣を受ける。
 ギィィィイイイン!!
 思った以上の重い攻撃に、芙宇が一瞬よろけた。だが、残った左手の剣を振るうことで、かろうじてグラティスの第二撃を封じる。
 芙宇は身軽に後方へと宙返りし、一旦距離をとった。
「あ〜イテテ。すごいバカ力だぞあの筋肉男は」
「おやおや、何をやっているんですか、芙宇。人間に遅れをとるとは」
「ら、羅威! 余所見してんなバカ!! あのニーチャン何かブツブツ唱えてるぞ!!」
「おや?」
 のん気にアルカスの方を見ると、アルカスは既に詠唱を終えたところだった。激しい稲妻が、彼の腕に宿っている。
ライトニング!!
 雷撃がバリバリと音をたて、まっすぐに羅威へと飛んでゆく。羅威は避けることはせずに、腕をクロスさせ、足を踏ん張った。
雷よ、我が腕に!!
 羅威の短い詠唱とともに、クロスした腕に雷が宿る。羅威はその腕で、アルカスの雷を受け止めた。
 ドドオオオン!!
 威力に押されて後方に下がりながらも、羅威は腕を振ってアルカスの雷を地面に叩きつけた。が、一息つく暇もなく、アルカスの剣が目の前に迫る。
「!!」
 羅威はとっさに篭手で剣戟を受けた。嫌な音がして、篭手が砕け散る。だが、剣が手を切り落とす前に、まだ雷を帯びている腕をアルカスに向けて突きつけた。
「!」
 アルカスは身をひねり、その腕を避ける。そのアルカスが呪文を詠唱しているのに気づいた時、羅威の顔色が変わった。
…その熱き息吹もて…すべての邪悪を浄化したまえ…
「くっ…雷(いかずち)!!
 詠唱を完全に省略し、羅威がアルカスの頭上に雷を落とす。アルカスは予想外のそれを避けるために、あと一歩というところで詠唱の中断を余儀なくされた。
 後ろに飛んで避けながら横目で見ると、グラティスが距離を開けた芙宇に詰め寄ろうとしているところだった。だが、グラティスは芙宇の強風の魔法をあびてずるずると押し返され、さらに距離を開けられてしまった。
 そのまま芙宇は、羅威の元へと駆け寄る。アルカスもいったん、グラティスの側に寄った。
「大丈夫か? グラティス」
「ああ。ダメージは受けてない。どうだ、敵は?」
 アルカスはその形の良い眉をしかめた。
「厄介だな。雷魔法の詠唱が異常に短い。たぶん雷使いだ。そっちは…おそらく風使いだろう」
「…だろーな」
 魔族の中には時々、特定の属性魔法を得意とする者がいる。それが“属性使い”と呼ばれる者達だ。
 例えば、羅威のような雷使いならば、当然のごとく雷魔法の威力は大きいし、詠唱も短い。雷属性の攻撃に対する防御力も大きい。集中状態から放ったアルカスのライトニングをとっさに受け止められたのも、そのためである。
「雷使いに風使いか。こーいう奴らはそれ以外の属性攻撃は滅多に使わねぇから、作戦は立てやすいんだがな。…だが、ちょっと相性悪いんじゃねえか? アルカス」
「…最悪だよ」
 アルカスの属性は光・炎・風・雷。当然の如く芙宇には風の、羅威には雷の攻撃が効きづらい。
「それに、属性使いの中には“倍返し”の魔法を持ってるヤツもいる。下手に雷・風は使えないな…」
 倍返しとは、敵が放った自属性の魔法を自らの魔力としてとりこみ、文字通り倍にして攻撃をお返しするといったものだ。長い詠唱を必要とする魔法だが、使ってこない保証はない。一度詠唱を終えていれば、10分間は魔法を取り込める状態を保持できる。
「クソ…」
 攻撃魔法の半分を封じられたアルカスは、小さく悪態をついた。
 一方、羅威と芙宇の魔族二人も、事を楽観視してはいなかった。
「まさか雷の魔法で私が押されるとは思いませんでしたね。あの人間、若いながらもかなりの術者と見ました。剣まで使いますし、強敵です」
「あの筋肉男もかなりやるね。接近戦は極力避けたい」
「ふむ…個々の能力は相手の方が上かもしれません」
 羅威が三つ編みを撫でながらのん気にいう。芙宇はため息をついた。
「あのなあ、羅威。気ぃ抜けるようなこと言うなよ。俺があの筋肉男より弱いっていうのか?」
「さあ。闘っていないので筋肉男はどうか知りませんが。あの若者の力を魔力に換算するならば、我々よりも魔力が高いのは事実です。身体能力も、決して我々に引けをとらないでしょう」
 芙宇はもう、文句は言わなかった。羅威は普段は阿呆だが、戦いにおいては違う。分析力と戦いの組み立ての才能は、相棒として充分すぎるほど知っている。
「まあ、負けるつもりは毛頭ありませんよ。まだあの若者は、その才能を活かしきれてはいません。それにあの二人、普段はあまり共闘していませんね」
「ふーん…。そっか」
 芙宇はまだあどけなさの残るその顔に、笑みを浮かべた。
「じゃあ、見せてやらないとね。1+1は2以上になるってことを」
「そのとおりです」
 傷ついた甲をぺろりと舐めると、羅威は片足を引いて軽く膝を曲げた。
「さあ…戦闘再開です」


………つづく…? 010703

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