第十二話『神剣オル・ハ・ザーク』 担当者:そぼりん
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「破!!」
 ドオォォォン!!
 グラティスの恥ずかしい…もとい、気合のはいった掛け声が、荒地に響く。彼の身長ほどもある大岩は、彼が気を込めて剣を振り下ろすたびに大きく揺れ、削れていった。
「破ぁっ!!」
 ドォォオオオン!!
 また、岩が大きく揺れ、削れる。神剣以外の剣でこれだけの衝撃波を作れる者は、武法神官勇者の中でも多くはない。だが、グラティスは決して満足はしていないようだった。「くそっ」と悪態をつき、地面に大剣を突き刺す。
「駄目だ…こんな威力じゃ、話になんねぇ…!」
 先日の戦いで、自分はアルカスの足手まといになってしまった。たしかに武法神官は魔法が使えない分、魔法戦を苦手とするものが多いが、そんなことは言い訳にもなりはしない。
(中級魔族にも勝てなくて、魔王に勝てるわきゃねぇ…)
 ギリ、とグラティスが唇を噛み締めた時。
「あまり無理しすぎるなよ、怪我人」
 後ろから、今では聞きなれた声が聞こえてきた。振り返って真っ先に目に入ったのは、むきだしの両腕にびっしりと刻まれた紋章。
「…アルカス」
「怪我はもういいのか?」
「ああ…。あのクソ不味い薬湯と、お前と神父サンの治療のおかげだな。特に神父には、ここ一週間でだいぶん無理させちまった」
 グラティスの言うとおり、あの神父の献身的な治療のお陰でグラティスの傷はほとんど完治していた。どうやらあの神父は、治療士としての能力は高いらしい。
「そういやアルカス、お前も顔色悪いんじゃねぇのか? 無理しすぎんなよ、半病人」
 そう言ってグラティスはにやりと笑った。アルカスはため息をついた後、自分の胸元に触れる。
「顔色が悪いのは、光の魔法の練習をしていたからだろう」
「光の魔法を…?」
 アルカスは無言で頷く。
「魔王と戦うなら、光の魔法は必須だ。だが…さすがに扱いが難しい。消耗が大きいんだ」
 アルカスの言うとおり光の魔法は扱いが難しい。勇者の中でも、光の魔法を自在に使いこなすものは稀である。難易度は、攻撃魔法、防御魔法、回復魔法の順に高く、当然難易度が高いほうが消耗も大きい。そしてアルカスが今何よりも欲しているのは、光の攻撃魔法だった。
「コツを掴めば消耗は抑えられると思うんだが…。なかなかそれができない。だが、どうしても必要なんだ。光の攻撃魔法は、魔族に特効があるからな」
 グラティスは頷く。やはりアルカスも、先日の戦いで実力不足を痛感したのだろう。
「俺も衝撃波の威力を高めようと思ってるんだが、やっぱり今の剣じゃあどうしても限界がある。気を込めすぎれば、剣のほうが耐えられなくなるしな。…だから…」
「神剣、か?」
「ああ。だがあれは希少価値が高い。俺みたいな勇者3年目程度の奴には、そうそう回ってはこねえ。神殿に言ったってくれやしねーだろ」
 神剣…神の名を冠する剣。その剣から繰り出される衝撃波は、普通の剣によるそれとは比べ物にならない。切れ味、耐久力、魔法防御力に関してもまたしかり。だが、神剣はその道を極めた鍛冶師が、一生に一本作れるか作れないかというほどの代物である。彼の言うとおり、経験の浅い勇者にそう簡単に支給されるものではなかった。
「武法神官にとっちゃ、武器は命だからな。神剣を持ってると持ってないとじゃ、天と地ほども違う。所詮、ないものねだりなんだが…。だが、どうしても…」
「神剣を、手に入れたいと?」
 穏やかな声に、二人は同時に振り返る。そこにはいつの間にか、あの神父が立っていた。
「グラティス様、無理はいけませんよ。怪我は治ったばかりなのですから」
「俺は大丈夫だ。それよりも…神剣について何か知ってるのか?」
 神父は一瞬、返事を躊躇した。穏やかなその顔には、迷いが浮かんでいる。グラティスはそんな神父に近づき、その肩に手を置いた。
「もしかして神父サンは、神殿から支給される以外に神剣を手に入れる方法を知ってるのか? もし知ってるなら、頼む…教えてくれ」
 神父は切羽詰った顔をしているグラティスに、逆に質問をした。
「なぜ…今神剣が必要なのですか? あと4〜5年もすれば、神殿から神剣を賜ることができましょう。手柄と実力次第ではもっと早く…」
 グラティスは神父の言葉を遮るように、首を振る。
「与えられるまで待てない。今すぐにでも欲しいんだ。何もただのわがままで言っているわけじゃない。強大な敵と、戦わなくてはならないんだ。…今のままの俺達じゃ、絶対に勝てないようなヤツと」
 魔王に関することは極秘任務であるため、同じ神殿関係者の前であろうとも軽々しく口にすることはできなかった。
「神剣がなくても…その者と戦うおつもりですか?」
 神父がグラティスとアルカスに問う。二人は顔を見合わせた後、力強く頷いた。
「そう、ですか…」
 神父は重々しい表情でつぶやく。
「決意は、固いのですね…。ならば…お教えしましょう。教会の後方に広がる森で、7年前、武法神官勇者と魔族の戦いがあったとのことです。強い勇者だったのですが…残念ながら…」
 神父はうつむきがちに小さく首を振った。グラティスは神父の肩から手を離し、重々しくため息をつく。
「……そう、か…。じゃあまだそこに、その勇者の神剣が…?」
「はい…今も」
「だが、何で今も神剣がそこにある? 神殿は回収しなかったのか?」
「神殿は非業の死を遂げた者の神剣は回収しません。武法神官と神剣は一心同体のようなものですから、念がこもっていて危険なのでしょう。“再利用”されるのは、引退した勇者が使っていたもののみです」
 アルカスは軽く首をひねる。
「その勇者の話は…ここらでは有名なんですか? だとしたら、盗賊共が放っておかなかったのでは?」
 神剣は希少価値が高いもの。たとえ扱えなくとも、喉から手が出るほど欲しいという輩はいくらでもいる。
「有名というわけではありませんよ。だからこそ、私は旅人などが誤ってその森に入らないよう、あの教会で見張っているのです。なにせ、あの森に入ったものは…」
 神父は一呼吸あけて、つづけた。
「誰も生きては戻らなかったのですから」
 一瞬、勇者二人は固まった。誰も生きて戻らなかったということは、どういうことか。森には一体、何があるというのか…。
「…それでも」
 グラティスは、真摯な目を神父に向けた。
「どんなに危険でも…俺は行く」
 グラティスの言葉に、アルカスもまた頷く。神父は、静かに目を瞑った。
(ここに二人の勇者が来たのは…全ては、運命だったのでしょうか…。ならば、私もその運命に従いましょう…)



 ゲァーゲァー、ギャッギャッ。
 怪しげな生き物の声を聞きながら、アルカスとグラティスは道なき道を進んだ。昼間だというのに森の中はうす暗く、どこか不気味である。
 神父と森の入り口で別れて、1時間くらい経過しただろうか。だが、いまだに目的地は見えない。目印をつけていなければ絶対に帰れなさそうな、深い森だった。
「なあ…今にもなんか出てきそうだよな…」
 と不安そうに言うグラティス。アルカスはそんなグラティスを振り返って、呆れたように言った。
「神剣を手に入れるためには、何でもするんじゃなかったのか? 何びびってんだよ」
「別に敵が強くたってびびりゃしねぇけどよ。誰も生きて戻らなかったって、もしかして…勇者のおばけが神剣を守ってるんじゃないのか?」
「……」
 アルカスはもはや何を言う気力も失せて、目印をつけながら無言で歩いた。
 ガサガサ。ザッザッ。ぐにょっ。ガサガサ…。
 しばし無言で歩いていた二人だったが、耐え切れなくなったようにグラティスが口を開いた。
「…お前おばけって信じるか? 俺、実は子供の頃にすんげー怖い体験を…」
「まだ言ってるのか。いい加減に…」
 とそこで、アルカスは顔を上げた。
「…グラティス、目的地についたみたいだぞ…」
 一体いつのまにこんな場所に出ていたのか…。そこは、清々しい草原だった。
「思いっきり季節感を無視してるな、この場所は…」
 アルカスは緊張した面持ちで、辺りを見回した。今は初春。このように青々と茂った草原など、あろうはずもないというのに。
「で。…あれが神剣だと思うか? グラティス」
「みたいだな…。すごい力を感じる」
 草原の真ん中に、大きな剣が突き立っていた。まるで、墓標のように。アルカスたちは恐る恐る、その剣に近づいてゆく。
「…。ぱっと見ほど綺麗な草原じゃねえな、ここは…」
「みたいだな…。なにせそこらじゅうに剣やら人骨やらが落ちてるんだからな。だが…今はこれといって邪気は感じないな…?」
 まるで世間話でもするように、そんなことを口にする二人。一見のんきにセリフを吐きながらも、二人は既に集中状態に入っている。このあたりは、さすが勇者といったところか。
 そのまま警戒しながらまっすぐに進んでいったが、これといった“妨害”もなく、二人は剣のもとへとたどり着いた。
 突き刺さった剣の脇に、大きな鞘が横たえられている。アルカスはしゃがんでそれをまじまじと見た。
「何か彫ってある。なになに…神剣…オル・ハ・ザーク…?」
「オル・ハ・ザーク…。3つ名だな…。3つ名の神剣は扱いがかなり難しいらしいぜ。そのかわり威力は抜群だがな」
「使える自信、あるのか?」
「さぁな…。訓練と実戦でそのうち覚えるんじゃねぇの?」
「頼りがいのあることで」
 グラティスは「うるせぇよ」とだけ返すと、神剣の柄に手をかけた。
「…抜く、のか?」
「まぁな。眺めてても手には入らないだろ」
「抜いた瞬間おばけが出てきたらどうする?」
「…! 変なこと言うな!!」
 叫びながらも、その声にはどこか迫力がない。グラティスはしばし柄を握ったまま固まっていたが、やがて意を決したかのようにその太い腕に力を込めた。
 ズボッ。
「…え?」
 アルカスが思わず間抜けな声をあげるほど、神剣はあっさりと抜けた。おばけも…出てこない。グラティスは自分の手の中にある剣をじっと見つめた。
「なんだこりゃ。やけにアッサリ抜けたな? もっとこう、満身の力をこめても抜けねぇのを想像してたんだが…」
「…ニセモノじゃないのか、それ」
「違うな。今こうして持ってるだけでも、力を吸い取られてるのがわかる。…本物に間違いな…」
 と、グラティスの言葉はそこで途切れた。太陽が厚い雲に覆われてゆき、草原はあっという間に薄暗くなった。爽やかな空気が、よどんでゆく…。
「なんだ…? 何か、空気が変わってねぇか?」
「あまり考えたくないが…その神剣の聖なる気が、ここら一帯を清めてたのかもしれない。…“場”が…“地”から“闇”に変わった」
「……。なるほど…だからそこらに落ちてる骨がカタカタ言ってるわけか」
 精悍な顔を青くするグラティス。彼の言うとおり、ここで死んだ者達のものと思われる骨が、カタカタと震えていた。やがて人骨達はむくりと起き上がって宙に浮き、落ちていた剣を拾いだした。すっかり元気のないグラティスに比べ、アルカスはあくまで冷静だった。
「あの曲刀…盗賊が好んで使うタイプだな。ってことは、神剣を盗みにきた盗賊達の成れの果てってわけか。何で死んだのかは知らないけどな。数は…20くらいか?」
「お前、よく平気だな…」
「別に実体のない悪霊ってわけじゃないだろ。闇の場で強化された“念”によって動く、ただの死体だ。取り憑かれる心配はないし、焼くかバラバラに砕くかで動かなくなる。俺もゾンビは好きじゃないが、幸い乾いてるホネだからな。魔法で焼いても臭くない」
 アルカスの言うとおり、霊とアンデッドは違う。実体のあるなしにおいてのみではなく、そもそもアンデッドには“魂”がない。身体に残っていた戦いの念が死体を動かしているか、それとも誰かが死体を操っているか。二つに一つしかないのだ。
「……もういい。あれはアンデッドじゃない。魔族の眷属だ。そういうことにしといてくれ…」
 グラティスは頭痛を覚えながらも、手に入れたばかりの神剣を構えた。骨達が、カタカタ言いながら剣を持って襲ってくる。とりあえず、グラティスは目の前の骨を叩き斬った。骨はバラバラに切り刻むまでもなく、たった一太刀で“ただの骨”へと戻った。糸が切れた人形のように、カシャンと乾いた音をたてて地面の上に崩れ落ちる。
「へえ…さすが神剣、だな…。次は、衝撃波の威力を試させてもらうとするか。“魔族の眷属”で」
 コォォォォ…。柄を握った両手から、凄まじい勢いで“気”が神剣へと流れてゆく。あまりに多くの気を一気に吸い取られ、グラティスは眩暈を感じた。
「…く…。さすが、3つ名の神剣…。どんどん、力が吸い取られていきやがる…」
「グラティス!」
 振り返るアルカスを、グラティスが叱咤した。
「馬鹿野郎! 戦いの最中に俺に…いや他に気をとられるな! 前もそれでやられたんだろうが!!」
 アルカスは心配そうな様子を消しきれなかったが、それでも力強く頷いた。さりげなくグラティスに近づきそうな骨を斬り伏せながら、詠唱を始める。相手が弱く余裕があるので、アルカスは上位魔法を唱えてみることにした。これも修行のうちである。
「我招くは猛き神の荒(すさ)ぶる心、灼熱の炎。そは暗き力を焼き尽くし、邪なる者共を灰塵と化さん! イラプション!!」
 ズガァアアアン!!
 ほとんど爆発と言っていいような炎が、骨達を飲み込んでゆく。この炎の上級魔法で、骨の約半数が消し炭になった。凄まじいまでの威力である。だが、当のアルカスは自分の魔法の効果をさして嬉しくもなさそうに見つめていた。
(炎なら上位魔法を使っても、消耗はそんなに大きくないのにな…)
 アルカスの最も得意とする魔法は、炎だ。次いで雷、風、そして光と続く。もちろん、苦手な魔法ほど消耗は大きい。アルカスにとって、炎の上位魔法を使うよりも、光の下位魔法を使うほうが消耗が激しかった。
(もっと光の魔法の修行、しとくべきだったな…)
 などと後悔してみるアルカス。
 とりあえず近くに敵がいなくなったので、再びグラティスを振り返る。彼は剣を上段に構えたまま、動いていなかった。いまだ、衝撃波が撃てないのだ。日に焼けた顔に、汗がにじんでいる。
「…ち、くしょ…。こんだけ俺の気を吸いやがるのに、うまく、気が、まとまらねぇ…。もう少し、なのに…」
「ホネ第二弾が来たぞ、グラティス。…俺がやるか?」
「まだ…。ギリギリまで、待て…」
 じり、じり、と骨達が剣を構えながら近づいてくる。あと7グレーザ、6グレーザ、5グレーザ…。アルカスが詠唱を始めようと、口を開いた時。
「…完成、だ…。これでもくらいやがれ、骨どもめ…!」
 すう、とグラティスが大きく息を吸い、足をさらに力強く踏ん張った。
「破ぁぁああっ!!!」

 ドドオオオオーーーーン!!

 周囲を引き裂く轟音と共に、衝撃波は放たれた。大気を震わせるような衝撃が、アルカスにも伝わる。凄まじいまでの聖なる気は風となり、残りの骨達を一瞬で消滅させた。さらにその“気”は勢いあまって、後方数グレーザの木々までをもなぎ倒していく。
 バキバキバキ!! ドオーンドーン…という木々が倒れる音が響き渡り…やがて静かになった。
「…す、ごいな…」
 アルカスが呆然として、前方を見る。まさか、神剣の衝撃波がこれほどまでに凄まじいとは。威力だけを見るならば、風の上位魔法に匹敵するかもしれない。おまけに、一瞬で骨を消し去るほど、聖なる力が強い。
「やったじゃないか、グラティス!」
 笑顔で横を見るアルカス。だが、その笑顔はグラティスを見た瞬間消え去った。グラティスが、その場に倒れていたのだ。
「大丈夫か、おい、グラティス!」
 揺すぶっても、返事がない。慌てて脈と呼吸を確認して、アルカスはほっと息を吐いた。
「“気”を消耗しすぎたのか…? まったく…無理するからだ…」
 とりあえず、アルカスは治癒の魔法をかけてやることにした。治癒魔法は本来は怪我を癒すものだが、出力を落とせば多少体力を回復してくれる。
「グラティスは魔法が効きづらいんだったっけ…? まあいいか。我希うは善なる神の…
 とそこで、アルカスの詠唱が途切れる。グラティスがアルカスの手首を掴んだのだ。
「…? 目ぇ覚めたのか?」
 グラティスが、ゆっくり顔をあげる。交わる、スカイブルーとグレイの瞳。
「…グラティス…?」
 アルカスは、思わずのように手をふりほどいた。いつもは生気に満ち溢れていた、グラティスの瞳。だが、今は違う。ぞっとするほど虚ろで、暗い光に満ちていた。
「グラティス」
 もう一度、名を呼ぶ。グラティスは返事をするかわりに、くっくっく、と喉の奥で笑った。
『まさか、武法神官勇者の身体が手に入るとは思わなかったな…』
 スカイブルーの瞳が、大きく見開かれる。が、呆然としていたのはほんの一瞬。アルカスは彼から素早く離れると、剣を構えた。若い頬に、ぴりりとした緊張が走る。
「誰だ…貴様。グラティスじゃないな…!?」
 “グラティス”は、口の端をつりあげて笑った。
『いかにも。我が名はスレイド。この神剣オル・ハ・ザークの持ち主だ、剣泥棒の若造よ』
「……。ここで亡くなった武法神官勇者の霊、というわけか…。なぜグラティスに取り憑いたんだ?」
 ぐ、とアルカスが剣を握りなおす。元勇者だろうが、霊は霊。すべての霊が悪いものというわけではないが、人に取り憑いたことを考えるといい霊であるとは考えづらい。
『なぜ、だと? 肉体が欲しかったからに決まっておろう。肉体なくして神剣は振るえぬ。神剣が振るえねば仇は討てぬ。幸いこの身体は、私によく馴染むらしい。武法神官であると同時に、遠く闇の血までも引いているようだからな…』
 グラティス…いやスレイドは、満足げに神剣を軽く振る。アルカスは“闇の血”という言葉が意味するところを理解する前に、半分無意識に…半分意識的にそれを聞き流した。
『しかも、この気の器の大きさよ。まさか初めて神剣を振るう者が、最大級の衝撃波をこのオル・ハ・ザークで撃てるとはな。まあ、そんな無茶をしたおかげで意識レベルが下がり、簡単に乗っ取ることができたのだが』
「…グラティスの身体の講釈なんて、今はどうでもいい。グラティスの身体から、出て行ってくれ」
『出て行くくらいならば最初から乗っ取りはせぬ』
 至極もっともな答えである。アルカスは、怒りをあらわにした。
「元勇者ともあろうものが、人の身体を奪って仇を討つだと!? 誇りも正義感も、死んだときに消え失せたのか!! グラティスの身体はグラティスのものだ、何がなんでも返してもらう!!」
『死んだ勇者の神剣を盗んで憎い魔族を討つというのと、大差はあるまいよ。魔法神官勇者・アルカス』
「……! …グラティスの、記憶を読んだのか…!?」
『さあな。なんにしろ、お前と正義問答をするつもりはない。さっさとこの場から立ち去れ。さすれば、お前の命は助けてやろう』
「ふざけるな! さっさとグラティスから出て行け!!」
 アルカスは、剣を構えなおした。羽織っていたマントを投げ捨てる。戦闘も辞さないという意思の表れだった。
『ほお、それが答えというわけか、若造。…いいだろう。ならば、これが私の答えだ!!』
 言うなり、スレイドは神剣を斜め上に構え、それを振り下ろした!
『破!!』
 ドオオーーン!!
 アルカスは突然の攻撃に驚きながらも、とっさに短く詠唱した。
「神よ力を! ウインドウォール!!」
 衝撃波がアルカスに到着する前に、アルカスの風の壁は完成した。だが、詠唱を略しただけあって効力が弱かったらしい。風の壁はあっさりと消え去り、アルカスは後方に吹っ飛ばされた。
「…っ!!」
 背中を地面に強打し、アルカスはゴホゴホと咳き込んだ。だが、すぐに起き上がり、剣を構える。
(くっ…。威力はさっきグラティスが見せたやつのほうがずっと上だが、こいつの衝撃波は完成するのが速い…! さすが、神剣を自分の剣として使っていただけのことはある…)
 だが、のんきに感心している場合ではない。再び剣を斜め上に構えているスレイドに向かって駆けながら、アルカスは詠唱した。
「光の神の力もて、我を守るは光の盾。暗き闇から、我を守り給え! ライトシールド!」
 アルカスの光の盾が完成するのと、スレイドが剣を振り下ろすのは同時だった。衝撃波と光の盾が至近距離でぶつかり、どちらの力も相殺されて消え去る。と同時に、アルカスはグラティスに斬りかかった。
 ガギィイン!!
 金属音を響かせ、二つの剣が交わる。アルカスはそのまま、接近戦に持ち込んだ。
『ほぉ、衝撃波を封じるために、武法神官勇者に接近戦をしかけるとはな。その無謀さだけは褒めてやろう!』
 ガン、ギィン!!
 二つの剣が、火花を散らしてぶつかりあう。最初は互角だったその戦いも、打ち合うごとにアルカスの旗色が悪くなってきた。元々グラティスの方が力も体力も上であるのに加え、今は神剣を与えられたほどの勇者がその身体を乗っ取っているのだ。当然といえば当然である。だが、それは衝撃波封じと詠唱の時間稼ぎにすぎなかった。
(憑いたモノをおとすには、“器”を半殺しにするか、聖なる力で叩き出すかどちらしかない。回復系の光の魔法で払い落とす方法があるらしいが、俺はそこまで高度な回復魔法は使えない。だから…)
 光の攻撃魔法をぶつけるしかなかった。
 グラティスは、チョーカー状の光の護符(タリスマン)を身につけているし、今は神剣を持っている。それらがあれば、どんな魔法の直撃も一度ならば耐えられるはずである。アルカスは心の中でグラティスに謝ると、詠唱を始めた。
「神々の御手よりこぼれ落ちたる白き光よ、今我が下に…」
 ガイイイン!!
 スレイドの体重をかけた重い一撃に、アルカスはバランスを崩した。さらに繰り出された一撃を、アルカスは後方に飛ぶことでかろうじて避ける。
『光の攻撃魔法か。着眼点はよいな。だが…』
 スレイドは剣を斜め上に構えていた。まずい、と思ったがもう遅い。身体はまだ浮いている。
『慣れない魔法は隙を生む』
 剣が、振り下ろされる。衝撃波が、自分に向かってくる。アルカスは、それをスローモーションのように見ていた。
 ドオオオン!!
「……っぁあ!!」
 衝撃波は、アルカスを直撃した。口から血を吐きながら、アルカスが草むらの中に倒れこむ。彼はそのまま、しばらく動かなかった。
『…勝負あったな。気が済んだか、若き勇者よ。この身体のことは諦めるのだな。これ以上刃向かわないのならば、命は助けてやろう…』
 そう言ってスレイドはアルカスに背を向ける。その背中に、「待て」という苦しげな声がかかった。振り返ると、アルカスが剣を支えに立ち上がっているところだった。
「ふざ…けるな。お前、なんかに、グラティスは…渡さない…」
 口の端から血を流しながら、アルカスが苦しげに言う。スレイドは、ため息をついた。
『なぜそうまでしてこの男にこだわる。他人のために己の命をかけろと、神殿で教わったか?』
 そうではない。魔物と戦うために命をかけろとは教えられたが、仲間のために命を捨てろとは、神殿では言われなかった。それどころか、時には共に戦う者を見捨てても勝てと教えられてきた。だが。
「グラ…ティスは、戦友…であり、仲間、だ…。俺は、俺の、したいように、する…」
『ご立派なことだ。ならば死ぬがいい。…破ぁっ!!』
 再び衝撃波がアルカスを襲う。アルカスは横っ飛びして、それを避けた。だが、衝撃波はそれだけでは終わらなかった。第二弾、第三弾、第四弾…アルカスは痛む身体で、なんとか避ける。だが、第四弾で崩した体勢を立て直せないまま、第五弾が来た。今までで最大の威力の、衝撃波が。
 ドオオオオーーーン!!!
「………っ!!」
 ひきつった悲鳴が、喉の奥から漏れる。衝撃波は風の刃となり、まともにそれをくらったアルカスの体中を切り裂いた。赤く染まった身体は数グレーザ後方まで飛ばされ、アルカスは地面に強く叩きつけられた。
 アルカスの世界が、一瞬、真っ白に染まる。
 キィィィイイン、という高い音が、どこからともなく聞こえてきた。
 叩きつけられた衝撃に自分がむせたかどうか、もうわからない。体中が痛いのに、その痛みをどこか遠くに感じている自分がいた。なのに、目の乾きが気になる。おそらく、目を開けたままなのだろう。
 ドクン、ドクン、と心臓の音がする。この音が止まったとき、自分は死ぬのかとぼんやりと思った。
 死ぬ? 自分は死ぬのか。こんなところで、おばけに敗れて。友も救えないまま。魔王と対峙することもないまま。何もかも、消え去ってしまうのか…? 自分は、こんなに弱かったのか…。
『…終わりか』
 スレイドが、ぽつりとつぶやく。彼はアルカスにとどめをさすでもなく、ただ黙って横たわるアルカスを遠くから眺めていた。
 終・ワ・リ? 俺ハ…マダ終ワラナイ。終ワレナインダ…。………、………。
 ザザザ、と風が走って森を揺らす。土と緑の匂いがする。背をつけた大地の奥深くに、熱い熱源があるのを感じられる。草も土も、湿っている。厚い雲の隙間から、わずかに光が見える…。
 ああ、そうか。魔法は、この世界に満ちる力を取り込み、放つものだった。世界は、生きている。たとえ場が闇に閉ざされようと、この世界が丸ごと死に絶えない限り、力はどこにでも存在するのだ…。なぜ、俺はそれを忘レテイタノダロウ?
『……? なんだ…?』
 倒れたままのアルカスから、途切れ途切れの…詠唱が聞こえた。
「慈悲…深き…神々より下され…るは、無慈悲…なる光の…裁き…」
 スレイドは、倒れているアルカスに向かって衝撃波を放つ。だが、いつの間に生まれたのかさえわからない光の盾が、攻撃を阻んだ。
『ばかな…!? …しかも、この詠唱は…!』
 アルカスが、ゆらりと立ち上がる。彼はさらに続けた。光の上位攻撃魔法の、詠唱を。スレイドもまた、気を剣に溜めている。威力最大の衝撃波を撃つために。
「そは悪なる者…に大いなる…滅びを…与え、穢…れし…魂…全てを等しく…無に…帰さ…ん」
 キン、という音とともに、アルカスの前に光の十字が完成する。スレイドは、剣を振り上げた。足を踏ん張り、剣を力強く振り下ろす!
『破ぁぁああああっ!!』
「ライト…クロス」
 最大級の衝撃波と光の上位魔法が、正面からぶつかった。力が拮抗したのは、一瞬。光の魔法は衝撃波を貫き、グラティスの身体を直撃した。
 逞しい身体が、大きくのけぞる。身体の内と外を同時に光で焼くという強烈な魔法を食らい、グラティスは声にならない苦鳴をあげた。彼の身体がぼろぼろに焼き切れなかったのは、同属性である光の護符と、聖なる剣のおかげである。一度衝撃波を通しているため、威力がやや損なわれたのも幸いした。
 グラティスはしばらく苦悶の表情を浮かべていたが、やがてそれも消え、神剣を握ったままどさりと倒れこんだ。そのまま、動かなくなる。
(……ヤバイ…。威力、大きすぎたか…。…すま、ない…。半殺し、どころか…瀕死、かも……。あれ……なんで、俺は、…上位魔法なんて…使った、んだ…?)
 光の上位魔法など、使えるはずもないのに。だが、意識して使ったというよりは、自然に詠唱が口をついて出たという感じだった。
(なん…なんだ、一体……)
 アルカスはだんだんと視界が狭くなってゆくのを感じながら、たまらずその場に膝をついた。それでも重い瞼をこじ開け、グラティスの様子を確認する。彼は大地に横たわったまま、起き上がる気配をまったく見せなかった。
(…死んだら……許してくれ…グラティス……。お前は、おばけには、なる、な、よ……、……)
 せめてグラティスが生きているかどうかを確認したかったが、もはやアルカスは限界だった。崩れ落ちるように倒れると、彼もまた完全に意識を手放した。


2001.10.06 続く。

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