第十四話『リィネさんの冒険』 担当者:えいちけいあある。
戻る。



 たったったっ。
 足取りも軽くリィネは砂埃の道を歩いていた。
 賑わう街。店先に並べられた、雑貨の数々。
 色鮮やかな、可愛らしいアクセサリー類。
 丁寧にたたまれている、流行の衣服。
 瓶に入れられた、ミルク色のキャンディ。
(あ。これ、美味しそうかも〜)
 お菓子屋の店頭で足を止めたリィネは、小さな瓶を一つ手にしてにっこり微笑んだ。
「これ、一つ下さい!」
「はいよ、お嬢ちゃん。落とすんじゃないよ」
 店の主人は穏やかな雰囲気の老婆で、つり銭を渡しながら目を細めて言った。
「うん、ありがとう」
 リィネは老婆に手を振ると、お菓子屋を後にした。
『ねーリィネ〜。お仕事はしなくていいの〜?』
 そんなリィネを上目遣いで見て、にょろが尋ねる。
「お仕事?」
『ほらー。お茶会の時にさー』
 左右の店に目を奪われながらも、彼はもう一度確認する。
「ああ、魔物さんのこと? ちゃんと覚えてるから大丈夫だよ?」



 それは遡ること一週間。今回の冒険はその日催されたお茶会から始まったのだった。
「うっわー! すっげぇ美味いよコレ!!」
 芙宇は嬉しそうな声を上げると、あっという間に自分のケーキを平らげた。そしてフォークを握ったまま、隣に座る羅威の皿を物欲しそうな目で覗き込む。
「おやおや。卑しいですね、芙宇」
「別にいいじゃんか。お前甘いの好きじゃないだろ?」
 羅威の皿には、ほとんど手付かずのままのケーキが残っていた。
「私がいつそう言いましたか? 憶測で物を言うのは止すことです」
「んじゃ、好きなのかよ?」
「いいえ、特に。しかし、素直に差し上げるのも何となくしゃくですからね」
「何だよそれ!」
 プゥっと膨れっ面になった芙宇は、フォークをケーキにつき立てようとした。カツンッ! 羅威が一瞬早く皿を取上げ、テーブルが硬い音を立てる。
「いい加減になさい。これ以上しつこくすると、呪いますよ……?
「のろ……!」
 意味も無く冷たさを宿し始めた羅威の瞳に、芙宇は思わずたじろいだ。
「……いい加減にするのはお前の方だ、羅威。あまり人をからかうものではない」
 大きなため息をついて、佳瑠は羅威をたしなめた。
「おや、ばれてしまいましたか。そう。実はあなたをからかっていたのですよ、芙宇」
 そう言って羅威は、持っていた皿をひょいと芙宇に差し出した。
「やなヤツだな、お前。……知ってたけどさ」
 ブツブツ言いながら皿を受け取る。
 その芙宇の逆隣の席では、小さな苦労人が更に小さく縮こまって座っていた。
(の、呪うって何!? 怖い怖い、怖いよー……)
 逃げ出したい気持ちを必死で押さえながら、にょろは味の分からない紅茶を一口すすった。
 ドンドンドンドン!! そこに突然、ノックの音が鳴り響く。
「あれ? 誰だろ。はーい」
 首を傾げてリィネが腰を浮かせかけると、
『ぼ、ぼくが出る!!』
この場を離れる口実を得たにょろが、急いで立ち上がり玄関へ駆け出した。


「それじゃ、ウェルカーに魔物が出るっていうのね?」
 リィネは瞳をくるんとさせて聞き返した。リビングに居るのは彼女とにょろ、そして先ほどこの家の扉を叩いた男の三人。
 佳瑠とその部下たちは、ゼイルの部屋で何やら話をしているらしい。台所ではゼイルがお茶会の後片付けをしていて、水音と食器の擦れ合う音が聞こえてくる。
「そうです。幸いなことに未だ被害は出ていないのですが、大きな怪物の影を目撃したものが絶えず、街では夜毎恐ろしげな咆哮が聞こえ……」
 男はぶるりと身震いして、視線を落とした。
「そうなの……。でも、どうしてわたしの所に? ウェルカーって、東の神殿が有る街だよねぇ? 神殿に言えばすぐ……退治、してくれるでしょ?」
 リィネはそう言いながら、ほんの少し苦い表情を浮かべる。
「……それは……」
 彼は言いにくそうに口ごもったが、やがて思い切ったようにリィネの目を見て答えた。
「水の精霊様が住む泉を、血で汚したくないのです」
 リィネはぱちんと瞬きをして頷いた。
「へぇえ、ウェルカーには精霊様が住んでいるの? 知らなかったぁ。それで、神殿には言えなかったのね」
「はい。彼らにとってみれば土着の民話など、排除すべき異質なものに他なりません。神殿を否定するようで心苦しいのですが……魔物退治の名目で、精霊様の土地さえ奪ってしまいかねない。それだけは避けたい……と、街の長老達が口を揃えるのです」
「そう……」
 リィネは少しの間考え込むような仕草を見せたが、すぐに微笑んで頷いた。
「うん、分かったわ。お家のお留守番は、ゼイル君たちに頼んじゃおっと」


 かちゃりと戸が開き、ゼイルが自室に姿を見せた。
「すいません。皆さん、お話は終わりました?」
 返事は無い。部屋の中の三人の魔族は、何も言わずに彼をただ注目した。
「? あの……何か?」
 ゼイルが困ったように笑い、首をかしげる。
「はい、これ何だか分かる?」
 芙宇が羊皮紙を広げてゼイルに見せた。そこには魔族の王の紋章が大きく描かれている。
「……えっと。……何かの紋章、ですよね? すいません。僕にはちょっと、何の紋章かまでは勉強不足で分からないみたいです」
「あ、そ。ゴメンゴメン、何でもないよ」
 芙宇は羊皮紙を丁寧に巻いて、佳瑠の手に渡した。佳瑠は酷く落胆した様子でそれを受け取る。
「佳瑠さん? あ、あの、僕何か悪いこと言いました?」
 どうしていいのかわからずに、ゼイルは戸惑った表情を浮かべた。
「……佳瑠様、私によい考えがあります」
 羅威はそう言うと、すっと彼に歩み寄った。
「ゼイルさん、ちょっと失礼……」
 不思議そうに目をしばたかせるゼイルの手を取り、一言唱える。
「雷」
 バリバリバリッ! 眩い電光が閃き、ゼイルがガクリと崩れ落ちた。
「……ショック療法も駄目ですか。やれやれ、お手上げですね」
「ばかお前はー!! 死んだらどうする気だよっ!?」
 芙宇が思わずツッコミを入れる。
「その時はその時です。……なぁに、人生なるようにしかならないものですよ」
 羅威はしれっとそんなことを言う。佳瑠はゼイルがただ気絶しているだけと確認すると、厳しい声でこう言った。
「いきなり危害を加えようとは一体どういう了見なのだ! 多少の手加減はしたようだが、王にもしものことがあったら、冗談では済まされないのだぞ!?」
 それを受けた羅威は、珍しく真面目な表情になって言い返した。
「お言葉ですが佳瑠様。彼が我々の探していた王だとは、私には全くもって信じかねるのです。少量の魔力を身に纏っている以外、どこを見ても人間そのもの。以前王の紋章を見て力を示したと言いますが、先ほどはまったく何の反応もなかったではありませんか。……彼を王だと証明する証拠が無い以上、私にはここに留まる理由を見出せません。他を探す方がまだ建設的というものです」
「確かに、証明するのは難しいが……。ならば羅威、お前はどうするつもりだ?」
 佳瑠は自分の部下がまともな意見を述べたことに驚き、心底感心していた。
「はい。私はまだ探索の途中であった、大陸南を当たろうかと思っております」
「……何だ。やたら真面目ぶってると思ったら、暖かいトコに行きたいだけじゃん」
 ポツリと芙宇が呟く。
「おやおや、いけませんねぇ。それは内緒だったのですよ、芙宇」
 すぐにいつもの調子に戻った部下を見て、佳瑠は疲れたようにガクリと肩を落とした。
「……もういい。お前達はお前達で自由にするといい。……ただし、極力騒ぎを起こさないように、だ」
「分かっております。私たちがそのようなへまをやらかすわけがないでしょう」
「そうそう。佳瑠様はちょっと心配しすぎですって」
「そう願いたいものだな」
「いつもそんな調子だと、そのうちはげちゃいますよ?」
「……」
 佳瑠は二人の部下から視線を移し床に横たわる王を見ながら、深い深いため息をついたのだった。



『リィネリィネ! あっちにも面白そうな店があるよ!』
 水を得た魚のように生き生きと駆け回るにょろを見て、リィネはちょっと首を傾げた。
「どうしたの? にょろ。お家では元気なかったのに、街に出てきたら元気だねぇ?」
『だって、ここにはあの人たちがいないんだもーん』
 にょろはどこまでも上機嫌で、リィネを引っ張って目当ての店へと連れて行こうとする。
「あの人たち? ……そう言えば、ゼイル君たち元気でやってるかなぁ?」
 ゼイルと佳瑠は、リィネたちがいない間二人で留守番をしているはずだ。
「羅威君と芙宇ちゃんも、もうちょっとゆっくりしていってくれてもよかったのになぁ」
 彼らはお茶会の翌日にはリィネ宅から出発し、今はどこで何をしているのか知れない。
『も〜! やめてよリィネ〜。あの人たちの話はいいよ〜。それよりさ、もっと買い物しよーよ』
 口を尖らせ、にょろが抗議する。リィネはにこっと笑って頷く。
「そうね。せっかくこんな遠くまで来たんだもん。楽しまなきゃダメだよね」
 そして、改めて周囲を見渡す。
 人通りの多い中心街。埃っぽい通りが真っ直ぐに伸びている。その先には神殿の白い姿。
 少しの間、リィネは眉をひそめてそれを見る。
 道端の草に、小さな花を見つける。アゼットよりも少しだけ早い春の匂いがした。
 楽しげな話し声。駆け回る子ども達。絵に描いたような平和が、ここにはあった。
(変なの。魔物さん、町の中に見当たらないみたい。けはいはするけど……どこにいるのかな?)
 リィネはもう一度だけ小さく首を傾げ、にょろに手を引かれるままに通りを駆け出した。

 青白い影が、空を横切る。その素早い動き故、気付く者は数少ない。そしてそれに気付いた少数も、浮かぶ雲を見間違えたと自分自身に言い聞かせる。そう、居るはずが無いのだから。おとぎ話の中の生き物――召喚獣などという存在は。
「も、もう限界」
「だらしない! もっと根性見せなさいよ、シェリ!」
「んなこと、言ったって、無理なもんは、無……う……、フェルエド、どっか、その辺に、降りて……」
 青白い獣が、その声に従い音もなく山陰の岩場に舞い降りる。
「悪い、フェルエド、もう、帰っていいから」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
 サジャが慌てて声を上げたが、その瞬間にはもうシェリの召喚獣の姿は消えていた。
「あー……。あんた、何考えてんの? ……ここ、どこなのよ」
「……知らねぇ」
 乾いた地面に座り込み、ぐったりとした様子でシェリが答える。
「……どうしよう」
 夕日色に染まり始めた空を見上げながら、途方にくれてサジャは呟いた。


「あ、一番星」
 両手で紙袋を抱えながら、リィネとにょろは宿への道を歩いていた。
『楽しかった〜。ね、リィネ。ここ、別に魔物なんか居ないんじゃない?』
 にこにこ笑って、にょろはリィネを見上げた。リィネも微笑を返して頷く。
「そうね。町の人も困ってないみたいだし、大丈夫なのかもしれないね」
 そしてふと通りに目線を戻す。
「あれ?」
 ちょっとした違和感に、リィネはぴたりと立ち止まった。
『どうしたのさ?』
「うん。何だか急に、人通りが少なくなってない?」
『え?』
 そう言われてにょろはきょろきょろと周囲を見回す。
『本当だ。っていうか……ぼくたちしか、いないよ……?』

 ……ォォォォォォォォン……

 獣の鳴き声のような音が、低く聞こえたようだ。
『……。今の、何?』

 グオオオオオオオオオオオオン……

 今度はよりはっきりとした声が彼らの耳に届く。
『な、何かやばいよ! リィネ、早く宿に戻ろうよぅ!!』
「あっちって、泉があるっていう広場の方角だよね。そっか、あそこかあ。うん、行ってみよ〜っと」
 リィネがそう言うと、
『嘘ぉー!』
にょろは愕然として荷物を全て取り落としてしまった。
「お仕事だってにょろも言ってたじゃない。お留守番しててもいいんだよ?」
『そんなこと、出来ないよー……』
「そう? じゃ、行こうか」
『うう……』
 二人は、街の郊外への道を片方は弾むように、片方はうつむきがちに進んで行った。


「泉発見〜」
 茂みの途中で立ち止まったリィネは、楽しそうに息を弾ませてそう言った。
「精霊様が住んでるんだったよね? ってことは、あれがそうなのかなぁ?」
 水面からはヌラリと光る黒い影が立ち上がっている。長い首をゆっくりともたげて、ゆらりとこちらに顔を向ける。
『そ、そんなわけないじゃん! どう見ても魔物だよ!!』
 金地に黒の細い瞳。口元からチロチロと覗く、赤い舌。
「ねーねー。あれってにょろのお父さん?」
『ちーがーうー!! って言うかリィネ、父ちゃんの顔知ってるじゃんかー!!』
 ザバァ!! 水しぶきを上げて、魔物が巨体を泉から引き上げる。
「あ、蛇じゃないんだー」
 丸みを帯びた胴体に、ひれのような前足。パッと見たところ、後足は見あたらないようだ。

 グァアアアアアアアアアアア!!

 威嚇するような大声を上げ、その体格からは思いもよらない素早さで地を滑る!
『うわーん、やだやだ! こっち来るよ!! リ、リィネ〜! 早く誰か呼んでよぅ!』
「うん。それじゃ、久しぶりに会ってみたいし〜。リュウイチさんにしよう〜」
 リィネはそう言うと、すっと右手を上げた。彼女の人差し指から僅かな魔力の光がこぼれ、空中に火の紋章が描かれる。
「偉大なる召喚士・『エルザリオ』の名と血の元に。猛き炎の血を引きし者……契約者≪リュウイチ≫、我の声を聞き届け、この場に姿を現せ!」
 パリン! 空間が割れる乾いた音が周囲に響く。
 次の瞬間、そこに現れたのは――
『な……!』
 緩めたネクタイ。くたびれたスーツ。後ろに撫で付けられた、淡い金の髪。
 一見極普通の勤め人と言った風貌の彼は、状況を把握できずに視線を彷徨わせ、そして、魔物の急接近を目にする。
『……っ、壁を!!
 片手を開いて前に突き出し、怒鳴るように唱える。
 ゴゥッ!
 魔物と三人との間に炎の壁が立ち上がり、その熱に魔物は鋭い悲鳴を上げた。
「リュウイチさん、お久しぶりです」
 リィネがにっこりと微笑み、挨拶する。リュウイチと呼ばれた男は、不機嫌そうに眉間にしわを寄せると、ため息混じりに呟いた。
『……やはり、君か』


2002.01.18 続く。

  目次