第十五話『リュウイチ』 担当者:そぼりん
戻る。



 グァァァァァアアアア!!
 炎をまともにくらってしまった魔物が、周囲を震わせるような苦鳴をあげながらのたうちまわる。やがて魔物は、ずるずると泉の中へ戻っていってしまった。
 あたりに、静寂が戻る。
「あ、魔物さん帰っちゃったの? ちょっと可哀想だったね」
『そんなことを言っている場合ですか! 私が壁をつくらなければ、君が食べられていたんですよ! にょろと共に』
『うわーん、そんなの嫌だ〜』
 真っ青になるにょろを横目で見ながら、どこかくたびれた印象のある男―――リュウイチはネクタイを外した。
『まだ油断しないで下さい。あの魔物、また出てくるかもしれま…』
 リュウイチが言い切る前に、再び泉の水が大きな盛り上がりを見せた。
 ザバァァアアン!!
 大きな体をくねらせ、再び魔物が姿を現す。その瞳は、自らを傷つけたものに対する怒りで燃え上がっているようだった。
『ひぇぇええ!! また来たよう!!』
『…炎を消すために一時的に水に入ったに過ぎないのでしょう。それに、少し傷が癒えている…。水属性の魔物かもしれません』
 やっかいですね、とリュウイチが呟く。リュウイチは火属性。他の属性の魔法も使えないわけではないが、やはり水の属性をもつ者とは少々相性が悪い。相手も火属性は苦手だろうが、水源がある分有利だろう。
 再び、魔物がこちらへ近づいてくる。リュウイチは、素早く横にずれてリィネたちと離れた。おそらく、今魔物が狙っているのは先ほど彼を痛い目にあわせた自分だろうと思ったから。
 予想通り、魔物はリュウイチをターゲットにしたようだった。ヒレのような大きな前足を、リュウイチに向かって叩きつける。が、リュウイチはくたびれた外見からは想像もつかないほど素早く、その攻撃を避けた。
『…っリィネ! この魔物、倒してもいいんですか!』
 これほど大きな魔物だったが、なんとか倒す自信はあった。だが、リィネから返ってきた答えは。
「だめ〜」
 というものだった。予想通りの答えに、リュウイチはがくりとうなだれる。とその瞬間、魔物の口からビュッと水の槍が飛び出してきた。かろうじてそれを避け、シュウウウという音に振り返る。水の槍があたった木が、ドロドロと溶けていた。
『…こんなに大きくて凶暴でおまけに口から酸を吐くような魔物相手に、時間稼ぎをしろと』
「うん。ごめんね〜」
 リィネは落ちていた木の枝を拾った。
『しかし、殺さないように時間稼ぎするようが殺すよりよっぽど難し…うわっ!』
 魔物は身体を回転させるようにして、極太尻尾で攻撃をしてきた。リュウイチはなんとか飛んで避ける。すり減った革靴の底すれすれを、ぬらぬらした尻尾が通っていった。
『…わかりました…仕方がありません。“描く”のに何分かかります!?』
 なかばヤケになって叫ぶリュウイチの息は、すでに乱れていた。この男、魔法力は高いが、どうやら体力はないらしい。倒すより時間稼ぎのほうが難しいと言ったのも、この体力のなさゆえだろう。
「あの魔物さん大きいから、3分弱くらいかかっちゃうかなー。詠唱も入れてだけど」
『詠唱を入れて3分なら、大丈夫でしょう…。…明日全身筋肉痛になるでしょうが、“これ”しか方法はないようですね。少しの間、こちらを見ないで下さいよ! …恥ずかしいんですから』
「うん。わかってる」
 リィネは木の棒で地面に何か文字を書き始めた。リュウイチは酸攻撃を避けながら、上着を脱ぎ捨てた。ついで、シャツ。靴。
 魔物は前足と尻尾、長い首で次々と攻撃してくる。それをぜいぜい言いながら避け、リュウイチはさらにズボン、靴下、眼鏡を投げ捨てた。
 トランクス一丁という、なんとも哀れを誘う格好になったリュウイチは、自分の周りに半球体の炎の壁を作りだした。魔物はそれを見てしばし動きを止めたが、やがて泉の中に頭を突っ込んだ。ズズズズズ…という音とともに、泉の水が魔物へと流れ込んでゆく。
『我、竜王アルヴェリウスの血を引くものなり…』
 炎の中に、リュウイチの渋くていい声が響く。哀愁漂うその外見とは裏腹に、その声には神々しいまでの威厳があった。
『我が奥底に眠る、炎よりも熱き血よ』
 魔物がザバァンと泉から顔を出し、腹に溜めた水をリュウイチにむかって勢いよく放射する。魔物の腹の中で魔力を帯びた水は、炎の結界を徐々に崩壊へとむかわせた。それでもリュウイチは、詠唱を続ける。
 炎の壁がぐにゃりと歪み、魔物が己の勝利を確信した、その時。
『今ここに目覚め、我に大いなる力を与えよ!』
 詠唱を終えたリュウイチの身体から、眩い銀色の光が発せられた。
 光は、炎の結界を、魔力を帯びた水を、そして魔物を吹き飛ばした。巨体が、飛沫を撒き散らしながら泉に落ちる。
 リュウイチを中心に、強烈な“力”の波動が広がる。にょろはその様子をあわあわ震えながら見ていた。
「どうしたの? にょろ。“これ”を見るの、初めてじゃないでしょ」
 相変わらず地面に何かを書きながら、リィネが言う。
『そ、そうだけど…。怖いものは怖いんだよう』
「大丈夫だよ。見た目はちょっと怖くなるけど、リュウイチさんはリュウイチさんなんだから」
『…そうだけど〜』
 二人がそんな会話をしている間に、銀光に包まれたリュウイチはみるみるうちに変化しはじめた。
 ドクン、ドクンと脈打つように震える体が、どんどん大きく膨らんでゆく。トランクスは、ビリビリと音をたてて破けた。青い瞳はつり上がり、口からは牙が覗き、背中はメリメリと盛り上がる。
 人ならぬ姿になってゆくリュウイチを包む銀色の光が、一瞬、目を開けていられないほど強くなり…。

 オオォォォオオン!!

 地を震わせるような咆哮が、広場に響き渡った。同時に銀光が消え去り、広場が闇を取り戻す。
 月明かりの下。魔物は、呆けたようにリュウイチを…いや、自分よりも一回り大きい生物を見た。
 そこに居たのは、月よりも眩い銀色の鱗をしたドラゴンだった。岩をも容易に引き裂く爪と牙を、そして凄まじいまでの魔法力を持つ、竜王の子孫。
『…やっぱり、すごいよう…』
 バッサバッサと羽ばたいて浮き上がるリュウイチを、にょろは畏怖と感嘆をもって見つめた。攻撃力・防御力・魔法力。いずれにおいても、変身後のリュウイチは、リィネが契約している召喚獣の中で最強クラスなのだ。
 そんなリュウイチを目の前に、魔物はしばし動きを止めていた。それは見とれているようでもあり、恐れて動けないようでもあった。
 そのまましばしドラゴンに釘付けになっていた魔物の視線が、ふとリィネに移る。リィネとリュウイチの間に魔力的なつながりを感じたからなのか、単純に強そうなドラゴンよりも弱い方を先に片付けようと思ったのか。魔物は、ターゲットをリィネに変更した。
 魔物はリュウイチに背を向け、リィネに向かって突進する!
『ひえぇぇええーっ』
 にょろの哀れな悲鳴が響き渡る。それでもリィネは顔も上げずに、地面に何かを描き続けた。リュウイチが守ってくれると、信じていたから。
 魔力を帯びた酸が、リィネにむかってシャーッと吐きかけられる。にょろが健気にもリィネの前に飛び出そうとするのと、さらにその前にボコボコと土が盛り上がって壁ができるのは、ほぼ同時だった。
 ジュウッ!
 酸は、リュウイチが魔法で作り出した土壁に阻まれた。魔物はそれに腹を立てたのか、狂ったように土壁に体当たりをし始める。
 ドシン。
 ドーン。
 ドシィィン!
 3回目の体当たりで、壁に大きなひびが入った。
 あと一回…。魔物がそう思ったその時、がしりと尻尾の先を掴まれる。驚いて振り返ると、いつのまにか背後に回ったドラゴンと目が合った。
 リュウイチは魔物を掴んだまま、バサリと大きく羽ばたいて上昇した。恐るべき怪力である。
 宙吊りにされた魔物が、なんとか逃れようとバタバタ暴れ、さらに尻尾の先に魔力を集める。だが、魔物の魔法が完成する前に、リュウイチは自らの身体を回転させて魔物を大きく振り回した。魔物の巨体が、一回転する。と同時に、リュウイチは尻尾を掴んでいた前足を離した。
 ザッバアアアアン!!
 魔物が泉の中に叩き落され、大量の水飛沫があがる。魔物は水面に叩きつけられた衝撃に意識を失い、泉の底へとゆっくりと沈んでいった。だが、身体が水底につく感覚に意識を取り戻し、再び水面へと浮上する。
 黒い頭がプカリと出てきたのを見て、リュウイチは己の翼に炎を宿らせた。闇の中で、ドラゴンの翼が赤々と燃え上がる。
 
 …ォォオオオーン!

 リュウイチが、咆哮とともに大きく羽ばたく。翼に宿った炎は、無数の火の玉となって魔物を襲った。
 降り注ぐ火の玉がいくつか身体をかすり、魔物は慌てて水面下へと潜る。リュウイチはさらに羽ばたき、泉全体に火の雨を降らせ続けた。魔物をこれで牽制し、水の中から出てこられなくする作戦である。その気になれば5秒で消し炭にできる相手だが、今の目的は時間稼ぎなのだ。殺さず、リィネに近寄らせず、3分という時を稼がなくてはならない。
≪…マズイナ、アト一分ヲキッタ…。リィネ、マダ完成シナイノカ…?≫
 リュウイチが羽ばたきながら、深い青の瞳を細めたその時。
「できたよ〜、リュウイチさん」
 のんきなリィネの声が耳に届いた。
 リュウイチは返事のかわりにひとつ羽ばたくと、急降下した。そのまま、己の巨体を泉に沈める。
 少しの間、あたりが静寂に包まれ…。

 ザバーーーン!!

 リュウイチが、勢いよく泉から飛び出した。次いで、魔物が姿を現す。魔物はリュウイチの前足に再び捉えられていた。リュウイチの強さを思い知って諦めたのか、今度はあまり抵抗もせずに首根っこを掴まれている。
 リュウイチはそのままリィネの前へと飛んできて、リィネが先ほどまで地面に描いていたもの―――魔法陣の上へと魔物を落とした。獲物をその内に捕らえた魔法陣は、青い輝きを発し、魔物の身体を魔力で縛った。魔物は驚いてバタバタと暴れようとするが、魔力を込めて描かれた文字と紋章から逃れることはできなかった。
「ごめんね」
 リィネは小さな声で謝ると、目を瞑った。
「遥か遠き地より来たる者よ、汝が在るべきはこの地にあらず」
 厳かさと優しさを併せ持つ不思議な声で、リィネが詠唱をする。
「汝を待つは白壁の彼方の世界。汝を育みし母なる大地」
 ふっと、魔物は暴れるのをやめた。リィネの詠唱の意味を理解したのか、それとも懐かしい空気を結界の中から感じたためか。金地に黒のその瞳が、一瞬、故郷を懐かしむように細められた。この魔物も、望んで“こちら側”に来たわけではなかったのかもしれない。
「汝、我が導きに従いてかの地へと帰るべし。風よ、この者をあるべき地へと導け!」
 魔法陣が、よりいっそう強い輝きをはなつ。魔物の姿がぐにゃりとゆがみ、向こうの景色が透けて見えた。魔物の透明度はだんだんと高くなり……やがて、魔物は完全に消えた。
「…ふぅ。大成功〜」
 リィネが、にこりと笑顔を見せる。固唾をのんで見守っていたにょろも、ほっと力を抜いた。
『よかった。今のところリィネの強制送還は成功率100%だね』
「うん。でも失敗したらどうなるんだろうね? “あっち側”に送りかえすはずが、間違ってにょろのすぐ後ろに転送しちゃったりして」
『うわーん、そんなの嫌だよう』
 そんな二人の会話を穏やかな目で見ていたリュウイチだったが、やがて何かを感じ取ったようにはっと顔を上げ、慌ててバサバサと飛んでゆく。
『ど、どうしたの。まさか魔物がまだ…』
「3分経ったから、じゃない?」
『あ…そっか』
 竜王アルヴェリウスの子孫である、リュウイチ。竜変化をすれば、その強さは上級魔族の中でも格の高いもの―――たとえば佳瑠―――に匹敵する。だが、竜の血は代を重ねるごとに薄まっており、リュウイチは3分しか竜の姿を保持できなかった。ついでに言うならば彼の父は3分半、彼の祖父は4分であった。
 リィネが茂みの上でバサバサしているリュウイチに背を向けたのと同時に、ドラゴンが小さくなりはじめた。銀鱗のドラゴンは見る見るうちに小さくなり…やがて裸の男へと変化した。細身の体が、ガサリと茂みの中に落ちる。
 リュウイチは極度の疲労感のためしばし動けず、裸のまま小さくうずくまっていたが。
『ぅえっくしっ』
 裸のままでいるには、まだあまりに寒い季節である。リュウイチは茂みから顔だけ出すと、にょろの方を見た。
『…にょろ。すみませんが、そこらへんに落ちている服をとってください』
『あ、うん』
 にょろは先ほどリュウイチが脱ぎ捨てた上着だのシャツだのを拾い集め、茂みの中から顔だけ出しているリュウイチへと手渡した。
 茂みがガサガサゴソゴソと揺れ、やがて服を着たリュウイチが出てきた。顔に浮かぶ濃い疲労の色と、先ほどよりもさらにヨレヨレになった服が、彼のくたびれた印象をより強めている。
「お疲れ様〜」
 リィネが労いの声をかけると、彼はわざと恨みがましそうに彼女を見た。
『…まったく疲れました。おまけに、空腹感も限界です。君に喚ばれた時、私はテーブルについて今しもゴハンを食べようとしていたのですよ』
「ごめんなさい」
 素直に謝られてしまい、リュウイチはふう、とため息をついて苦笑した。
『…もういいです。やはり君にはかないませんね。私は戻って休むことにします。送ってくれますか?』
「うん。今日は本当にありがとう。やっぱりリュウイチさんは、頼りになるね」
 ちくん。
 にょろの胸に、針で刺したような痛みが走る。
 そんなにょろの様子に気づかぬまま、リィネは空中に紋章を描いてリュウイチを元いた場所へと戻した。
 リィネはうーんと一つのびをして、にょろの方を振り返る。
「じゃあ、私達も帰ろっか」
『うん…』
 返事の声も、うつむき加減の顔も、どことなく沈んでいて。リィネは小さく首をかしげた。
「どうしたの…? にょろ、元気ないね」
『あ、ううん、なんでもないよ』
 にょろは顔をあげ、無理に笑顔をつくった。
 先ほどリィネが「リュウイチさんは頼りになるね」と言った時。いつも考えないようにしていたことが、頭にのぼってしまったのだ。「自分は何の役にも立たなかった」という思いが。
 今回だけではない。リィネが魔物と戦う時はいつも、にょろは何もできなかった。リィネと彼女が喚ぶ召喚獣の足手まといにならないのが精一杯。いや、時に彼女達に守られることさえある。リィネを守るべき、召喚獣でありながら。
(いつもぼくが一番側にいるのに、何もできない。半人前のままじゃ、リィネの役には立てないよ。…はやく、一人前の召喚獣になりたい…)
 一人前になれば、リィネの役に立てる。もっと頼りにしてもらえる。
(けど…。一人前になったら、今みたくずっと側にはいられなくなっちゃうのかな…)
 召喚士は、召喚獣を魔力によって自らの側につなぎとめる。つまりは、召喚獣が側にいる間中、魔力を消費し続けるのだ。召喚獣が強いほど消耗する魔力は大きく、当然側に置ける時間も短い。
 だが、半人前の召喚獣はその限りではない。あまり魔力を消費せずに、側に置きつづけることができる。にょろがずっとリィネの側にいられるのは、半人前であるがゆえなのだ。
(一人前になりたい…けど、リィネと離れ離れになるのはいやだなあ……)
「にょ〜ろっ」
 呼ばれて、はっと顔をあげる。リィネの暗褐色の大きな瞳が、にょろを覗き込んでいた。と、その瞳が細められる。彼女は微笑んでいた。
「帰ろっ」
 ほっそりとした手を差し出す。リィネはもう「どうしたの」とは聞かなかった。
『…うん。行こっか』
 リィネの手を取って、歩き出す。
 リィネは、にょろが何を悩んでいるのか気づいていた。けれど、何も言わなかった。彼を慰めるような言葉は、何も。それが余計ににょろを辛く、情けなくさせるとわかっていたから。
(やっぱり、半人前でも…もうちょっとリィネの側にいたいな〜なんて…)
 にょろが一人照れたように笑ったそのとき。
 泉全体が、ぼんやりと光を発した。


つづく。

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