第十七話『召喚士』 担当者:えいちけいあある。
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 宿の扉には、内側から鍵が下りていた。
「あれー? もうみんな寝ちゃったのかなぁ?」
 リィネは首を傾げながら、コンコンコンっと楽しげなリズムでノックした。
「……はい?」
 ややあって、おびえたような声がそれに応えた。
「あ、よかったぁ。私、ここにお部屋取ってるはずなんですけど?」
「……リィネ様、ですか?」
「うん」
 わっと中で歓声が上がった。リィネとにょろは、きょとんとして目を交し合う。
「お帰りなさいませ、リィネ様!!」
 パンパーン!
 ガバっという勢いで扉が開かれ、クラッカーの音と紙吹雪で彼女たちは迎えられた。
『何なのこれ!?』
 にょろは目を丸くしてリィネの腕にしがみつく。
「いや、驚かせてすいません」
 一人の男が、ごった返す人々の間から進み出た。
「あ、町長さん」
「こんばんは、リィネさん。あなたならきっとやり遂げてくれると思っていました。さぁ、今夜はお祝いです。存分に楽しんでいってください!」


「それじゃあみんな、お家の中に避難してたんだ?」
 リィネは人通りのない夜の街を思い出し、納得したようにうなずいた。
「ええ。こうして勝利を祝うパーティの準備をしながら……」
 町長は片手で周囲を大きく示し、にっこりと微笑んだ。
 パーティの雰囲気は明るく、誰もがみんな談笑を交し合い、振舞われたご馳走に舌鼓を打っている。
『……ちょっと待ってよ。もしリィネが負けてたらどうする気だったのさ?』
「それはそれ。そのまま残念会に流れ込む方向でですね……。いや、リィネさんが負けることなどないと私は信じておりましたから」
 町長の言葉に、にょろは半ば呆れ半ば感心してしまった。
(楽観的な街……)
「しかしさすがに、あの声が聞こえてきたときはもうお終いかと思いました」
 町長は言った。
「その後もしばらく地面は揺れる、大きな水音はする。おまけに、窓越しに恐ろしく大きな影が見えたという者までいましたから……」
(……それって全部リュウイチさんのせいなんじゃ……)
 にょろは思ったが口には出さず、テーブル上の鳥のから揚げに手を伸ばした。
(……ん?)
 そのとき視線を感じたような気がして、にょろはきょろきょろと辺りを見回した。会場の中では、皆思い思いに魔物のいない生活の始まりを喜んでいて、特にこちらを注視しているものは見られない。
(気のせいかな?)
 首をかしげ、唐揚げに噛り付いた。香ばしい香りとジューシーな味が口に広がる。
(ぼく、こういう『普通のご馳走』って大好き!)
 満足げな表情を浮かべたにょろは、すぐに視線のことなど忘れ去り、心行くまでパーティを楽しんだのだった。


 ひやり。
 額に冷たいものが触れたのを感じ、シェリはうっすらとまぶたを開いた。
 赤い色がぼんやりと揺れて見える。
(火……? いや……。サジャの頭って、こんなに赤かったっけ……?)
 視界がだんだんはっきりしてくると、それが見知らぬ男性のものであることが分かってくる。
(誰だ……?)
 シェリの目が、男の瞳を捉える。
 血のような紅。その中に見えるものは――
(な……んだこれ……!? じょ、冗談じゃねぇぞ!!)
 それを知覚した途端、シェリはがばっと上体を起こした。額から緑色のタオルが落ちたが、それに気付くこともなく出来るだけ彼との距離をとろうと壁に張り付いた。
 頭痛と眩暈で霞みそうな目を必死で見開き、彼を睨み付ける。全身から汗が噴出すのが分かる。危険だ。早く逃げなければ。こんな――
「気がついたんですね」
 男は言った。穏やかな声とは不似合いなほどの威圧感。上級魔族さえ色あせて見える鮮やかな魔力が、奥底に眠っているのをシェリははっきりと感じ取っていた。
「だ、誰だ……っ! なんなんだよ、お前っ……」
 シェリはささやくほどの掠れ声をやっとのことで搾り出した。
 男は困ったような笑みを浮かべ、シェリに向かって手を伸ばした。
「……っ」
 シェリはぎゅっと目をつぶった。
「やっぱり……。熱が上がってる」
 男は呟きため息をついた。
「大丈夫。すぐに治ります」
 そう言ってシェリの額から手を離す。
(あ、あれ……? 頭痛が……消えた?)
 シェリは恐る恐る目を開き、男の顔を見た。
 柔らかな薄茶色の髪の男が、心配そうな青の瞳でこちらを見ている。
(赤く……ない……)
 あれほど鮮やかに見えた魔力の気配も、もうほとんど感じられない。
(なんで……?)
 意識はここで途切れ、シェリは再び深い眠りに落ちていった。


「眠ったようです」
 ゼイルはリビングに戻ると、サジャに向かって微笑んだ。
「あいつ、大丈夫なんですか?」
 サジャは心配そうに相棒の眠る部屋のドアを眺めている。
「明日までには熱も下がると思います。でも本当なら教会の方に……」
「それはダメっ!」
 思わず叫んでしまってから、サジャはあわてて付け足した。
「ほ、ほら。私たち、今保険証持って来てないし!」
「そうですね。保険証忘れると治療費って本当に高いんですよね。分かります」
 ゼイルがしみじみと頷く。サジャはほっとしたような表情を浮かべた。
(……『召喚士だから』、とはさすがに言えないらしいな)
 佳瑠は黙って二人の会話を聞きながら思った。『召喚士』というものが異端視されているらしいことは、ここで生活した短い間に彼も理解していた。
(思えばリィネ殿も多少隠している節があるな……)
 『勇者業』を行っている時点で、どうかと思うところだが。
「それにここって、私たちのところと違うエリアだから色々手続きが面倒で……」
 サジャはそう言って、目をぱちくりさせた。
「私ったら、肝心なこと聞くの忘れてた! ここってどこですか?」
「え……。リィネさんという女性の家で、僕たちが今留守を預かっている……」
「そうじゃなくて」
 ゼイルのボケた発言に、サジャは苦笑した。
「ここの村の名前です。私たち道に迷っちゃったから、ここがどこなのかよく分からないんですよね」
「ああ、そういうことでしたか。ここは大陸北東の……神殿で言えば北エリアに入るのかな? 森の中のアゼット村です」
「アゼット!」
 サジャが輝くような笑みを浮かべた。
「何だ。道、間違ってなかったんじゃん。シェリのやつ、後で覚えてろー!」
 その頃、シェリは夢の中でサジャに首を絞められているところだったという。


 翌日。朝と昼とが入れ替わり、町並みに人が溢れ始めた頃。
 今日のウェルカーも天気がよく、乾いた道は人が歩くたびに埃を巻き上げている。
 リィネは小さな包みを手にして『ハーウェン・ロッサ』のウェルカー支店を出た。
『リィネ、何買ったの?』
 外で待っていたにょろがその綺麗な包み紙を覗き込み、尋ねる。
「えへへ。前から欲しかったティーセットなの。向こうじゃ売ってないもんねー」
 嬉しそうに包みを撫でて、リィネはにっこり微笑んだ。
「でも、そろそろ帰らなきゃ」
 ちらっと後ろに目をやって、リィネはふっと真面目な表情をした。
『えー!? もっと遊んでいこうよー』
 にょろは駄々をこねるように膨れたが、
「だーめ」
というリィネの言葉に渋々頷いた。
『……でも、また遊びに来ようね?』
「そうだね。いつかまた来たいね」
 二人は宿から荷物を運び出すと、盛大に送り出そうとする町人たちをどうにか抑え、そっとウェルカーの街を後にした。


 サジャが昨夜よりお世話になっている家は、なかなか快適なところだった。
 空きのベッドがないため、ソファの簡易ベッドで過ごさなければならなかったことを差し引いても。もともと野宿を覚悟していたのだ。それくらいは何でもない。
(料理は美味しいしかっこいい人は居るしお部屋は可愛いしかっこいい人は居るし……)
 うきうきとメモに書いてある商品を買っては、買い物かごに入れていく。
(でも、お使いのお手伝いくらいしかできなくていいのかな?)
 人が好さそうなゼイルという男は、
「気にしないでください。困ったときはお互い様というでしょう」
と笑っていたけれど。
「あ、紅茶の葉っぱ」
 メモの最後に書かれた一行に目を留め、サジャは呟いた。コーヒーと紅茶の専門店を見つけ、量り売りの茶葉を購入する。
(シェリが淹れたお茶、飲みたいなあ……)
 買い物を終えたサジャは、トボトボと村外れの一軒家に歩を進めた。
「迷わなかったか? ……元気がないようだな。疲れているのではないか?」
 佳瑠に迎えられ、サジャはぶんぶんと首を横に振った。
「ううん、大丈夫です。これぐらいしかできないから……」
 ぽぉっと顔が赤らむのが分かる。
 夜に映える銀も魅力だが、昼の光に照らされた銀もまた美しかった。しっとりと、手を触れたくなるような銀色。
 側に寄ると気付く、微かな甘い芳香。おそらく、香水か何かだろう。うっとりするほど、彼によく合っている。
 そしてこれは癖なのだろうか? 会話をするときに、じっと瞳を見つめるのは……。
「あ、あたしシェリの様子見てこなくちゃ!」
 佳瑠に荷物を預け、廊下を急いで駆け抜ける。
(し、心臓に悪いよあの人……)
 どきどきと高鳴る胸を押さえ、サジャは深呼吸して部屋の扉を開いた。薬草のスーッとする匂いが、部屋中に漂っている。ここで息をしているだけで体に良さそうだ。
 見ると、シェリはまだベッドの中ですやすやと寝息を立てていた。
「熱はもう、微熱程度ですよ」
 ゼイルがにこりと微笑んだ。看病をしていたのだろう。緑色のタオルをぎゅっと絞っている。
「ただ、大分疲れが溜まっているようですから、もう少し眠らせてあげた方がいいでしょうね」
「そうですか……」
(……ちょっと無理させすぎちゃったかな?)
 ベッドの横に立ち相棒の顔を覗き込んで、サジャは少しだけ反省した。
「心配ありませんよ。さ、僕たちはお茶にしましょう」
「はい……」
 サジャは部屋を出る時にもう一度シェリを振り返り、パタンと扉を閉めた。


 シェリは額の上のタオルを取って体を起こした。見知らぬ部屋をぐるりと眺め、頭を掻く。
(どこだ? ここ)
 ぼんやりと昨夜のことを思い出す。
(あー。確か俺、倒れたんだよな……)
 ベッドから出て立ち上がる。まだ少しふらふらするが、吐きそうなほどの頭痛はもうない。
(何で倒れたんだっけ?)
 シェリは扉に手をかけ首をかしげた。途端、ぼやけていた像が急に鮮明に蘇り、シェリの脳裏にいくつかのシーンが描き出された。
 サジャのでたらめな道案内、闇に溶けそうな黒い髪、そして膨大な魔力を持つ赤い男……。
「サジャ!」
 扉を勢いよく開き、シェリは相棒の名前を呼んだ。
「な、何よ!?」
 サジャは驚いて、持っていたカップを取り落としそうになった。
(無事だったか……)
 シェリはほっとして微笑み、ついで奇妙なものでも見るような顔をした。
「……お前何してんの?」
「何って、お茶してるように見えない? 起きて早々、寝ぼけたこと言わないでよ」
「見えるから聞いてんだよ……」
 シェリが開けた部屋の扉は、リビングにつながっていた。ソファに、サジャと銀色の髪の男が向かい合って座っている。
「誰? この人」
「ばかっ、森で私たちを助けてくれた人じゃない。カルさんっていう方よ。ほら、お礼言いなさい」
「昨日?」
 シェリはぽかんとして、佳瑠の頭を指差した。
「だけど、黒くない」
「だから昨日からそう言ってるじゃないの。きっと具合悪くて変な夢を見たのよ」
「そう……か?」
(……でも、ほんの少しだけだけど魔力の匂いがするんだよなぁ)
 いまいち納得しきれない様子で、シェリは前髪をかきあげた。
「あははははは!」
 突然上がった笑い声にびくっとして、シェリはサジャを見た。
「な、何だよ!?」
「あは、だって、シェリ、あんた、おでこ、変!」
 なおも止まらない笑いに言葉を詰まらせながら、サジャが答える。
「おでこぉ?」
「鏡、ほら、そこ」
「何だよ、どうなってんだよ?」
 サジャの指差す方向の壁に、鏡がかかっているのを見つけてシェリは前に立った。
「何だこれ!?」
 くっきりと四角い緑。シェリの額が奇妙な草色に染められている。
「あ、それ」
 廊下から顔を出した男が言った。昨夜見かけた薄茶色の髪の男だ。魔力は、よほど注意していない限りほとんど感じられない。あれも全部夢だったのだろうか?
「レネ草の絞り汁なんです。額に乗せるとスーッとして熱が早く引く、んですけど……」
 彼はシェリを哀れむような表情になった。
「その色は二、三日消えないままだと思います。お気の毒ですが」
「そ、そんな」
「あはははは! うん。いや、気にすることないわよ。かっこいいかっこいい」
 まるで心のこもらない台詞を言うサジャをにらみ、シェリは大きなため息をついた。


『リ、リィネー。誰かついて来るよー』
 にょろはリィネの腕にしがみつきながら言った。
「うん、そうだね」
 リィネは振り返ることもせずに、まっすぐを見ながら答える。
『……リィネ、怒ってるの?』
「ううん。怒ってはいないけど、どうしようかなーって考えてるところ」
 ぴた、とリィネは足を止めた。
『な、何? どうし……』
 にょろもすぐに気がついたようだ。
 二人の行く手に、一人の男が立っている。すらりと姿勢のいい長身。リィネをじっと、腕を組んで眺めている。見慣れた白い服。何ヶ月ぶりだろう、あの長衣をこんなに間近で目にするのは。懐かしさよりも先に嫌悪感を覚えて、リィネは眉をひそめた。
「何か用なの?」
 リィネが尋ねても、男はただ不審気な表情で無遠慮な視線を向けてくるだけだ。
『何の用かって聞いてるんじゃないかぁ!』
 にょろは気分を害し、リィネを男の視線からかばうようにして立ちふさがった。
「これは失礼。彼女が私の想像とあまりにもかけ離れていたものでね」
 男は口先だけで侘びを述べ、顎をしゃくって何かの合図をした。数人の男たちが物陰から飛び出し、二人はあっという間に取り囲まれてしまった。
『……っ! リィネ! どうするの!?』
「うーん。困ったねぇ」
 リィネはのんびりと答え、もう一度男に向かって質問を繰り返した。
「それで、わたしに何の用なのかなぁ?」
 男は動じた様子のないリィネに眉を寄せたが、大きく息を吸うと、
「君は神殿が禁じている術を使ったね? つまりそれは犯罪に等しい。よって我々東神殿は、今から君の身柄を拘束するものとする!」
こう宣言した。
「ふぅん……」
 リィネは少し考え、小さく首を傾げるとこう尋ねた。
「嫌だって言ったら、どうするのかなぁ?」
「……君が逃げ出すようなことがあれば、君をここに呼んだ者にも、それ相応の罰を与えねばならないだろうな。……我々も手荒な真似はしたくないのだが」
(ウェルカーの人たちのことね……)
 悪意の無い、ただただ陽気な町人たち。彼らを捉え見せしめに罰するくらいのことならば、神殿は平気でやってのけるだろう。
「うん、分かった。つまり、一緒に行けばいいのね?」
 リィネはいつもの調子で軽く答えた。
 それがまた神殿の男たちには拍子抜けだったようだが、彼女はかまわずにこう続ける。
「でも、この子は関係ないから帰してあげてね?」
『な、何言ってんの!? リィネ』
 にょろは慌てて言ったが、リィネはにっこり微笑んだ。
「この子は『召喚士』じゃないもの」
「む、確かに。何の魔力も感じないようだ。……いいだろう。君が大人しくついてくるなら、彼はウェルカーに帰しておいてやろう」
「うん、ありがとう」
『や、やだよ! ぼくも一緒に……』
「だーめ。いい子だから、ね。お願い」
 リィネはにょろに手を振ると、神官たちに連れられて東神殿の方角へ歩き出した。
『リィネぇ……』
 取り残されたにょろは、大粒の涙をこぼしてその場にへたり込んだ。


続く。
2002.06.18

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