第十九話『アゼット探索』 担当者:あやにょ
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 朝の冷えた空気の中へ、太陽が最初の光を投げかける頃。
「とうとう行かれるのですね」
 山中の森にある白い教会の前に、旅立つ者が二人、見送る者が一人。
「はい。思わぬ時間を取られてしまいましたので、急がなければ」
「神父さんには世話んなったな」
 お気をつけて、とジーンは言った。
 ジーンが尋ねても、二人は任務について洩らすことはなかった。おそらくは極秘の任務なのだろう。それを無理に聞き出すことは戒められていたが、ここに滞在した十日ほどの二人の言動の端々から、彼らの任務がただごとでないことは推測できた。
「どうか無事に任務を果たされますよう、お祈り申し上げます。お帰りの際にはまたお立ち寄り下さい。今度は薬湯が必要ないと良いのですが」
 勇者二人組は口元に笑みを浮かべ、教会を去った。口元がやや引きつっていたのはおそらくこれからの任務の労苦を思うゆえだろう、とジーンは真面目にそう思っている。薬草と一緒に糧食の袋に補充しておいたスワレの実がせめて役立ちますように、と本人たちが聞いたらとどめになりそうなことを神父は祈った。
 二人を見送った彼が教会の中に戻ろうとしたとき、チチチ、と鳥の鳴き声が聞こえた。ジーンが視線を上げれば、青い鳥が頭上を旋回している。腕を伸ばすと、鳥は舞い降りて腕に留まった。その足には小さな筒がくくりつけられている。東神殿からの伝書だ。
「めずらしいですね、何でしょう」
 小さく丸められた文書を広げて目を通すと、ジーンは「面倒ですね」と呟きつつ建物に入っていった。旅の支度をしなければならなかった。



「本当に無駄足を食ったな」
 もう一度山を迂回して、あのにっくき魔族二人組とやりあった平地を抜けるのに二日かかった。昨晩は小さな町に泊まり、ようやく今、アルカスとグラティスはアゼットの村を目の前にしている。リィネの家がある森の方の入口ではなく、以前に羅威と芙宇もその場に立ったことのある、村の反対側の入口だ。
「だけど、寄り道のおかげで神剣も手に入ったし、お前も多少腕が上がったみたいだし。ま、いいんじゃねーの?」
 背中にしょったオル・ハ・ザーク、その柄の頭をグラティスは軽く叩く。
 確かに、神剣の騒ぎの後、アルカスの魔法はわずかながら安定した。わずかな違いだが、魔法はある程度上達するとそこからが難しいから、たいしたものだといえよう。
 だが、アルカスは疑問を一つ持っていた。使えるはずのなかった光の上位魔法…ライトクロス。なぜ、あの時の自分は使えたのだろう。
 詠唱は一応ひととおり学んでいた。しかし、光の力は強大だから自分には下位魔法がせいぜいのはずなのだ。実際、あの後何度か魔法の練習をしたときにも、光の中位・上位魔法となると集中力が保たずに詠唱しきれないか、詠唱を終えても発動しなかった。
「んー、俺は魔法の方はよくわからねーけどよ、いざというときライトクロスまで使えるっていうことがわかったんならいいんじゃねえか」
と、その光の上位魔法をくらった本人のグラティスは軽く流す。軽く流せるのは、これをネタにして彼に仕事を頼んだり食事をおごらせたりする楽しみをここ数日で見出していたからだが。
 もっとも、彼は彼でいくつかぼんやりした疑問を持っていた。気を失っている間に夢を見た気がする。その断片が、なにか気にかかっていた。しかし、思索に耽るのは彼の行動原理にそぐわないので放ってある。取り憑かれたときのことなど思い出したくないから、というのも理由の一つだが、本人はそれには気付かないふりをしていた。
「それより、さっさと例の勇者様の家を探そうぜ」
 グラティスの言うことはごもっともだった。
 たいていの場合、勇者と呼ばれるような人物はそれなりの稼ぎがあるため、その棲む家はそれなりの門構えをしている。だから探しやすいだろうと思っていた。しかし実際には、この穏やかすぎる村の中にはそれらしき家がまったく見あたらない。
 しかも、村の通りを歩いていると何だか視線を向けられている気がする。そちらに視線を返すとにっこり微笑む者もいるが、隠れてしまう者もいた。よそ者に対する好奇心からくる視線なのだろう。
「……グラティス、気付いてるか?」
「気付いてるぜ。シャイなかわいい娘たちの視線なら」
 前方の小間物屋の陰からこちらをうかがう若い女の子にグラティスが笑って小さく手を振ると、娘は手を振り返し、ついで顔を真っ赤にして慌てて店の奥に入っていってしまった。
「ほらな?」
「……」
 あまり目立つようなことはしない方がいいのではないか。
 アルカスがそう言うと、グラティスは笑った。
「こんな村じゃ、この格好で目立つなって方が無理なんじゃねえの。だったら好感度上げといた方が何かと得だし、それが可愛い子なら文句なしだろ」
 グラティスの言い分にある程度、そう、ある程度は筋が通っていることは認めながらも、真面目なアルカスは同僚のように女性に手を振ったりする気にはなれないのだった。
 視線は遠くからばかりではない。すれ違う村人たちも「こんにちは」と挨拶しながらこちらを珍しそうに見てくる。好意的な視線のようだが、ジロジロ見られるのはあまり得意でないアルカスだ。
(紋章はちゃんと隠してるし、鎧も普通だし、大げさな格好ではないと思うんだが……)
「なあグラティス。かなりじっと見られてる気がするんだが……オレたち、何か変な格好だったりするのか?」
 自分の格好を見下ろして不安そうにするアルカスに、あきれたようにグラティスが返す。
「ばぁか、俺がかっこいいからにきまってんだろ」
「……」
 村人の好奇の視線の中を、二人は歩き回った。昼過ぎから探索を始めたのだが、二度ほど村を回り終えて夕方になっても結局見つからず、その夜は村にただ一軒しかない宿屋に泊まることにした。辺境ではいくつかの村につき教会が一つというのが一般的で、アゼットの場合もご多分に漏れず、教会は隣村のベクトにある。たいして困らない距離ではあるが、アゼットにいる方が都合がいいだろうと二人は判断した。
 宿屋の主人は、二人が入っていくと奥からでてきて不思議そうに尋ねた。
「おや、兄さんたち、まさか泊まるのかい」
「ああ、とりあえず一泊な」
「あららら大変だ、部屋の準備をしなくては」
 そんなこんなで半時間ほど入口で待たされるはめになった。
 バタバタと走り回りながら、宿屋の主人はよく話す。
「何か入り用の物はあるかい? 夕食はどうする?」
「ああそうそう忘れてた、そこの台帳に名前と住所書いとくれ」
「ほお、兄さんたちは冒険者かい、このご時世に大変だなあ」
「そこにお茶があるから適当に飲んでいてかまわないよ」
「あ、反対側の入口から入ると酒場になってるからね、夜遅くなったら開店だよ」
「おっと、うっかりしてた。明日の朝食は何時くらいがいいんだい」
「兄さんたち、昼から村中歩いてただろ。昼に買い出しに出たとき、若い娘らがきゃあきゃあ騒いでたよ。あれあんたたちのことだろう?」
 そして、部屋の準備が終わったところで主人が聞いた。
「それにしても、兄さんたちみたいな若い冒険者が、こんな何もない村に何しに来たんだい?」
 アルカスは詰まった。まさか本当のことは言えない。勇者の家を探すのも、勇者側に気取られると困るのであえて村人に聞くことはしていなかった(もっとも自分たちが目立っていたことは否めないので、その配慮がどのくらい効果があったかは分からないのだが)。
 と、隣でグラティスがつらつらと喋った。
「んー、アゼットには女勇者がいるっつー話を聞いたんで、俺たちじゃどうにもならない魔物退治の依頼に来たんだけどよ、半日探しても見つからねーんだ。兄さん、その女勇者の家を知らねーか?」
 アルカスはグラティスの横顔をまじまじと見た。なるほど、その訊き方なら向こうに伝わってもあまり刺激しないだろう。それならもっと早くそうすればよかったのに、と心の中で同僚をなじりつつ、宿屋の主人の反応を待った。
 主人は「女勇者?」と首を傾げた。
「不思議な魔法を使うとかなんとか聞いたんだが」
「……ああ、もしかしてリィネさんのことかな? 勇者って感じじゃないけど。一昨年あたりから住み着いたんだったかなあ。あの道のずっとずっと先にある林を越えてすぐだよ」
「あの林を越えるのか?」
 アルカスは驚いた。ずいぶん村の中心から遠い場所だ。
「あの先は村の外れだろう。そんなところで女性が一人暮らしを?」
「いんや、弟なのかな、男の子が一緒に住んでるよ。それに、今は居候が派手なのと地味なのといるっていう話。いい歳した俺の実家の姉貴が、派手な方が好みだとか何とかって大騒ぎしててねえ、あっはっは」
 アルカスとグラティスは視線を交わしあった。「女勇者に付いて歩く少年がいる」。酒場で得られた情報の中に、たしかそんなものがあったはずだ。居候の話は知らないが、仲間か何かだろうか。それとも。
「ありがとうよ。話は早い方がいい、今から行ってみようぜ」
 礼を言い、大きな荷物だけ部屋に運び入れて、二人は再び宿を出た。
 夜のアゼット村は静かだ。さすがに村人たちも家に帰って、通りにはほとんど人目がない。それでもアルカスは小声で言った。
「どうやら、噂は本物らしいな」
「上級魔族や『魔王』との関連があるか、まずはそれを確かめないとな」
 あの小憎らしい中級魔族二人組もこちらへ向かっていたはずだ。下手をするとあいつらと、あるいはもっと手強い相手、最悪の場合は『魔王』といきなり激突ということもありうる。
「だが、強大な魔力は感じられない」
 第一、感じ取っていたら昼間真っ先にその方向へ向かっていただろう。
「あいつら二人の気配もないし、魔族の存在を示すような雰囲気も噂も村になかった。グラティス、あの町の酒場でお前が聞いたっていう魔族の噂、本当なんだろうな?」
「おいおい、俺たちはそこを確かめに来てるんだろ。アゼットで上級魔族らしい奴が目撃されたっていう噂自体は本当に聞いたんだぜ?」
 ……実はその噂、もともとはサジャたちが、中央神殿から召喚候補地へ至るルート上にある大きめの町を選んでばらまいた噂のうちの一つだったのだが、そんなことを二人が知るはずもない。
「だが、アゼットにそれらしき噂がないのは妙だな」
 唯一『魔族』という言葉が出てきたのは、宿屋の主人が部屋を整えながら口にした次のような言葉だった。
「冒険者といえば、こんな噂がありましてねえ。三つ先のヨーソ村の長老の甥っ子の孫のいとこの親友の知り合いが、冒険者を雇ってそいつに魔族の格好させたんだって。で、そいつをやっつけることで想い人の関心を引こうとしたけど失敗したんだとかいう話。馬鹿だよなあ。……あ、まさかその冒険者って兄さんたちじゃないよな? あっはっは」
 しかしその噂の発信地はアゼットではない。
「奴らがここを離れた可能性もある。あるいは通り過ぎた可能性も。実はここはハズレなのかもしれない」
「とにかく行ってみなきゃ始まらねーよ。うまく隠れているのかもしれないしな。何もなければまた情報収集をやり直せばいいんだし、だいたいその勇者様を征伐するかどうかも判断しなきゃならねーだろ」
 子どものごっこ遊びならいざ知らず、日常において勇者の称号を騙ることは罪であるとされている。まして、その勇者が使うのが異端の召喚魔法だと確認されれば、神殿に連行し処罰しなければならない。
 二人は道を急いだ。
 ……旅人を送り出した宿屋の主人は、ややあって思い出した。
「あ、でも今、リィネさんどこかに出かけてるってフェルミアの姉貴は言ってたな。ま、いいか。行けば分かるだろうし。あっはっは」



「ちゃんとアゼットだったわよ! どうよ、私だってやればできるのよ!」
 夕食後、昼までは病室として使っていた部屋で「ふふん」と鼻を鳴らしたサジャに、ベッドに腰掛けたシェリは冷たい声を返した。
「で、俺が寝込んでたここ数日の間に、何かわかったわけ?」
「う゛っ」
 サジャは呻いた。そう、何一つ新しいことがわかったわけではない。
「今日は買い物も頼まれなかったから外に出なかったし……出たけど遠くに行かなかったし……だいたいあんまりこっちのことを知られても困るから、外に出てもあまり知り合いを作らないようにしてるし……それでもけっこうこの村の状況はわかったけど……」
 ぼそぼそ言い訳をするサジャに、ようやく床払いをしたばかりのシェリは額に手をやってぼやいた。
「アゼットに来られたのはいいけどさ、クジーレ様のあの表情の原因がわからなきゃ意味がないんじゃないのかよー」
 だいたい、クジーレから休みをもらってアゼットに来たこと自体がサジャの独断行動だ。シェリはそれに巻き込まれた形になっている。たしかに興味はあったのだが、なんだか散々な目にあっている気がする。いや、現に散々な目にあったのだ。
「そんなこと言ったって、わからないんだもん。クジーレ様が気にするような物が何にもないのよ、この村。……目立つ人はいるけど」
 最後の一言だけ声が甘い。「目立つ人」とはもちろん、カルと名乗る銀の長髪の男のことだろう。シェリはあきれた。
「それはお前が気になってるだけだろ」
「シェリが倒れてるのが悪いのよ。なによ、おでこがまだしっかり緑色のくせに。元気になったんなら手伝ってよね」
「俺のせいかよ? もとはといえばサジャが悪いんだからな」
 長い付き合いであるし、シェリの限度はサジャにもよく分かっているはずだ。
(それなのに思いっきり無理させるしよー。くそー、いまにみてろ! ……あれ?)
「……なあ、サジャ。俺たちの魔力って同じくらいだったよな」
「突然何よ。クジーレ様がそう言ってたじゃない」
 そのはずなのだが、なぜだろう、自分の方がかなり強いように思える。
(……あれ、なんで分かるんだろう? そんなの前は全然分からなかったのに)
 シェリが内心で首を傾げたそのとき、部屋のドアがノックされ、人の良さそうな青年が部屋に入ってきた。
「ああ、やっぱり。佳瑠さんとリビングにいないからこっちかと思って。サジャさん、シェリさん、お茶はいかがです?」
 ゼイルが手にした盆の上に並ぶティーセット。その奥に見えた紅茶の銘柄にシェリは反応する。
「あ、リナロン茶? 朝のシーナ茶といい、ずいぶんいいお茶飲んでるのな」
「ああ、リィネさんが好きなんだそうです。値は張りますけどおいしいですよね、これ」
 リィネとは、この家の主のことだと聞いていた。もっとも、本人は用事があって出かけてしまったそうだが。得体の知れない自分たちを家主がいない間に家にあげてしまっていいのだろうか。そう聞いたとき、ゼイルもカルも表情に違いはあれど「大丈夫」と請け負った。なので、今はもうそれについてはあまり考えないことにしている。それよりもっと気になることがあるのだから。
 部屋の中へ足を踏み入れたゼイルがビクリと震えた。ティーセットがぶつかり合って耳障りな音を立てた。サジャが慌ててソファから立ち上がり、ゼイルを支える。
「ゼイルさん、大丈夫?」
「ええ。なんだろう、ちょっと目眩が……」
「ずっとこの馬鹿のこと看病してたから疲れたんじゃない?」
 サジャに支えられてティーセットを置くゼイルに視線をやったまま、シェリは固まっていた。さっき、一瞬、眼の奥に赤い光が…あの時と同じ膨大な魔力がかいま見えなかったか。思わず後ずさったシェリに、ゼイルが首を傾げた。
「シェリさん、どうしました?」
「あ、……あ。うん、なんでも……」
 しかし、シェリはゼイルから目が離せない。じっと目が凝らされる。感覚が鋭くなっていく気がする。目の前の男、その奥底に眠る魔力の気配を捉えて、そして…
 玄関の方からノックの音がした。
「あれ、こんな時間にお客さんかな」
 シェリの感覚がふっと元に戻った。
「ちょっと出てきますね」と出ていくゼイルの背中を見ながら、シェリは大きく息をついた。全身にいやな汗をかいていた。
「ねえ、ちょっとシェリ、あんた大丈夫? 何か顔色悪いわよ」
「……大丈夫」
「って顔じゃないわよ。すごい汗じゃない。また熱が出た?」
「何でもない。平気だから……」
「タオル、タオル……あ、ないわね。あっちにあったかな。取ってくる。そうそう、熱があるならあの緑の葉っぱもね」
 げっ、とシェリは焦った。
「本当に平気だって。熱はないってば。サジャ、おい」
「ふふふーん、楽しいわね看病ってほんとに。この際たくさん恩を売っとくのもいいかなー」
「おいっ!」



 林の中、月明かりの下を二人の勇者が行く。
「どうだ、アルカス。ここまで来てもやっぱり魔力の気配は感じないのか?」
「感じない。……召喚士の魔力だと、オレ程度の感覚じゃここからでは感じ取れないしな。家の中に入れば分かるかもしれないが」
 召喚士は魔族同様魔力を持つ存在だが、その力は下級魔族の半分ほどもないのが普通であるらしい。それ以上の力がある者もいるにはいるが、そういう者は魔力の気配をある程度抑えることを意識的、あるいは無意識的に知っているという話だ。
 また、魔力を持つ者が必ず召喚魔法を身に付けているというわけでもない。魔力を有することは召喚を行うための必要条件だが、十分条件ではない。
 そのようなわけで、実際に召喚を行うところを見るのでもなければ、召喚士を一般人と判別することは無理だった。ただし今回の場合、状況証拠次第では判別できるかもしれないが。
「目立った魔力の気配がないのは、あの家にいるのは召喚士ではない単なる騙りだからか」
「あるいは召喚士がいたとしても魔族はいないからか」
「それか、完全に魔力の気配を消せるような大物がいるから、だろうな」
 やがて林を抜けた彼らの前に現れたのは、小さな家だった。玄関脇の花壇にはつぼみの付いたセリエ草が丸っこい葉を茂らせて並び、本格的な春がすぐそこに来ていることを主張していた。玄関のドアも玄関まわりを照らす小さなランプもかわいらしい意匠で、「勇者の家」という言葉から受ける印象とは全く異なる。
 玄関の明かりと月明かりを頼りに目を凝らせば、少し先には豪邸になりそうな建てかけの家が見えた。しかし、まさかあちらにはまだ住めないだろうから、宿屋の男が言ったのはこちらの家だろう。
 正直、二人はやや気が削がれた。
「……ずいぶんかわいい家だな」
「これで女勇者が筋肉もりもりだったり不細工だったりしたら嫌だよなあ」
「グラティス、想像させないでくれ。力が抜ける……」
 気を取り直してアルカスは集中しなおす。と、何かが彼の感覚に触れた。
「……グラティス、魔力だ」
 グラティスは横目で同僚を見た。アルカスは真っ直ぐにドアを見ていた。
「家の中からだと思う。ほんの一瞬、微かに。でも間違いない」
「そうか。……よし、いくぞ」
 呼吸を整え、グラティスはドアをノックした。
 出てきたのは、この家に似つかわしくない背の高い男だ。長い銀髪が目を引く。これは「弟」だろうか、それとも噂の居候か。派手だし、年齢が高くて少年とは思えないから多分後者だろうとアルカスは思った。
 その男が口を開いた。
「何か?」
 グラティスが「用件」を言う。
「女勇者さんがここにいるって聞いてきたんだが。あんたは?」
「私は居候だ。申し訳ないが、女勇者というのがリィネ殿のことなら、彼女は所用で不在だが……」
 なめらかな、いい声だった。見た目の派手さのわりには地味な話しぶり。
「不在?」
「グラティス、やはり微かに魔力の気配がする。奥から」
 アルカスの言葉に、銀髪の男の形のいい眉がひそめられ、青い瞳にやや険しい色が浮かんだ。
「……お前たち、何をしに来た?」
 そのとき、廊下の奥に茶色の髪の青年が現れた。穏和そうな男だ。この男も「少年」という感じではない。
「あれ、佳瑠さん出てくれたんですか。……佳瑠さん?」
 何やら緊迫した雰囲気に、その青年はとまどって足を止める。そこへ、奥の部屋から緊張感のない声が聞こえた。
「ゼイルさーん、タオルはリビング? シェリが具合悪いのぶり返したみたいなんだけど。それからあの緑の葉っぱも」
「おいっ、本当に大丈夫だってば!」
「あははは、あ、シェリのハンカチでいいや。あとは緑の葉っぱねー」
「頼むからやめてくれよー!」
 奥からこもって聞こえるその声は、少女と少年のもののようだった。それらは、不在だという「不思議な魔法を使う女勇者」とその「弟」をアルカスたちに連想させた。そして、アルカスがこの家の奥に微かな魔力の気配を感じたとなれば、
「今の声。あれは召喚士だな?」
 二人がそう思ってもおかしくなかった。目の前の男が嘘をついたのだと判じて当然だった。そして、嘘をついた理由は、やはりこの家に何かやましいことがあり、しかも昼のうちに噂を聞いたか何かでこの男が自分たちの正体に勘づいているからではないか、と二人は考えた。それが自然だった。
 カルと呼ばれた男が小さく呟く。
「お前たち、まさか神殿の……」
 アルカスのスカイブルーの瞳に強い光が宿った。
「彼女に聞きたいことがある。通してもらおう」
 グラティスの目には、なぜか目の前の男が逡巡したように見えた。しかしそれはほんの僅かな時間で消え失せる。
「ゼイル殿、あの二人を逃がせ。貴殿も戻ってきてはならぬ!」
 男が訪問者から目を離さぬまま放った強い口調の言葉に、奥の青年が固まったのはほんの数瞬。変事だと気付いたのだろう、身を翻す。
 それを追おうとする勇者二人を、銀髪の男の声が遮った。
「風よ、侵入者を排除せよ!」



 ……続く。2003/02/03

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