第二十話『月と星の下で』 担当者:えいちけいあある。
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 瞬間、ゴウという突風がアゼットを吹き抜けた。


 アルカスとグラティスは、木々に叩き付けられる寸前で体勢を立て直した。
「この魔法は! 貴様……っ」
 ギッと睨みつけるアルカスの視線の先で、銀色の男は玄関を閉めた。カチャリと、扉の向こうから錠を下ろす音が聞こえてくる。
「お、おいおーい!」
 二人は急いで扉の前に駆け戻った。


「逃げてっ! 早く!」
 ゼイルがドアを乱暴に開けて叫んだ。レネ草の入ったすり鉢を奪い合っていた二人が、ぽかんとして振り返る。
「え? 何かあったんですか?」
 サジャに尋ねられると、ゼイルも困ったような表情になって首をかしげる。
「僕もよく分からないんですが、佳瑠さんが……」
「神殿の者たちだ」
 佳瑠は部屋に入るなりそう言った。それだけで二人の顔に緊張が走る。
「神殿……?」
「ゼイル殿、案内を」
 一人だけ不思議そうな表情を浮かべたゼイルだったが、佳瑠に促されると頷いて勝手口を指差した。
「こっちです!」
 森の奥に続く細い道へと飛び出す。その背中を、森に吹く風が力強く押した。潮騒に似た葉ずれの音に乗って獣道を駆け抜ける。シェリは刹那、その風に魔力のけはいを感じたが、振り向いたときにはもう小さな家は森の木々に隠れて消えていた。

 三人の姿が見えなくなると、佳瑠は勝手口の扉を閉め再び玄関に戻った。
(もう少し、時間を稼がなければならないな……)
 逃げた三人に気付かれることがないように、神殿勇者たちの目を自分に向けさせなければならない。――特に、『王』のことは気取られないようにしなくては。
(……あまり気乗りはしないが)
 ふぅと一つため息をついて、青の瞳を扉に向ける。
(すまぬ、リィネ殿)


「さっきの……やっぱ魔族魔法か?」
 グラティスがドアの取っ手をガチャガチャさせながらアルカスに尋ねる。
「ああ、あるいは召喚士かもしれない。魔族魔法と召喚士の魔法はひどく似通っている部分があるからな。……っくそ!! 何で開かないんだ!」
 大の大人二人掛かりで何度体当たりをしてみても、さほど頑丈には見えない扉はびくともしない。それどころか、きしむ様子さえなかった。
「こりゃぁ、何かマジナイでもかけやがったな? あいつ」
 もう一度ガンッと蹴飛ばして、グラティスはオル・ハ・ザークの柄に手をかけた。
「どいてろアルカス。手っ取り早くぶっ壊しちまおうぜ」


 そのとき、青く冷たい光が扉を突き破った。


 二人は咄嗟に左右に分かれて飛び退った。
 刺すような冷気が、吐く息を白く固める。
 同時に一つの影が眼前を駆け抜け、森の手前で立ち止まった。
 銀色の髪の毛が、ふわりと風になびき――それが夜に溶け込むようにスゥと闇色に染まっていく。
「やはり、魔族……!」
「しかも上級魔族か!」
 殺気立つ二人を一瞥すると、佳瑠はタッと森の中に駆け込んだ。
「待てっ!」
「あっ、おい! 『女勇者』はどうすんだよ!?」
 アルカスは「任せる!」と一言叫ぶと、佳瑠の後を追って森に飛び込んで行った。
「しょうがねぇヤツだな……。ま、さすがにオレが行く前に死んだりはしねぇだろ。家ん中見て回ってもそんな時間かからなそうだし」
 ブツブツ言いながらグラティスは壊れた玄関をくぐった。


 木の根に足を取られそうになって、ゼイルは幹に片手をつき立ち止まった。
「……このまま行けば、じきに森を抜けられます」
 はぁはぁと肩で息をつきながら、もう片方の手で道を示す。
「事情はよく分かりませんが……お気をつけて」
「ゼイルさん……。ごめんなさい、ありがとう」
 サジャは申し訳ないような、情けないような表情で頭を下げた。シェリも複雑な表情でゼイルを見つめ、一言「迷惑かけてすいません」とだけ小さく呟く。そして――
「ちょ、ちょっとシェリ! まずいわよっ!」
サジャは目を丸くした。シェリの右手が、空中に素早く風の紋章を描いていく。
「この人は多分大丈夫。『神殿』よりは『こっち』寄りだよ。……シェリ・エウルの名と血の元に! 風のごときフェルエドッ! 早く来てくれ!!
「しかもそんな適当な詠唱で……」
 ぱりん! 心地よい音とともに、青い獣がシェリの前に降り立った。
「うそー!? シェリ、あんた!?」
「いいから早く乗れよ」
 目を丸くするサジャの手を取って、シェリはぐいっと引き上げる。
「召……喚獣……。それで……」
 ゼイルはポツリと呟いた。
「さよならっ」
 獣は二人を背中に乗せ、地面を蹴って夜空を駆け上っていった。


「はっはーん? アレは」
 勝手口を片手で抑えたまま、グラティスは空を見上げた。
「……逃げられたみてぇだな、やっぱり」
 家の中はもぬけの殻。そして、彼の視線の先で、大きな獣が空を駆けていく。方角は――南だろうか。
 普通に考えれば、あれは当然『召喚士』――『女勇者』の召喚獣だろう。
「んー。あれを追っかけるのは無理っぽいし……あいつの加勢にでも行くか」
 グラティスは玄関へ回り、正面の薮を掻き分け走り出した。


「何だ? ここは」
 ぐるりと頭をめぐらす。上級魔族を追っているうちに、おかしな円形広場へ出てしまった。直径にして二百グレーザといったところか。広場周辺の木々は倒れ、地面は剥き出し。最近ここで変事があったことが一目でわかる。
「何か……変だな」
 アルカスは心がざわめくのを感じながら周囲の様子を伺った。が、その目が探していた相手の姿を捉えた途端、その思いも泡のように消え去る。
「追いかけっこは終わりか?」
 憎しみを絵に描いたような眼で相手を睨みつける。
「退いてくれ、と言っても無理なのだろうな」
「当たり前だ! 魔族が何を!」
「……そうか。ならばいたしかたあるまい」
 佳瑠は静かにアルカスを見据えながら、片手を軽く上げ闇を掴むような動作を取った。
 ヒュッ! 空気を斬る音。振り下ろされた手には、月のごとく銀に輝く剣があった。
「始めようか」
 穏やかな瞳が一転、鋭い光を湛えたものに変わる。
「神の御名の下に」
 早口でそう宣言し、アルカスは魔法の詠唱に入った。
(さっき、奴は風と水の魔法を使った)
我に宿るは神の怒り……汝を討つは裁きの光……!
(実際何が得意なのかはわからないが……こいつで様子見だ!)
「――ライトニングアロー!!
詠唱を完成させて雷の矢を放つ。
「はっ」
 佳瑠は地を蹴ってそれを避けつつ、バク転でさらに間合いを広げた。無駄に派手な動きと言えなくも無い。
「しまった!」
 標的を見失った雷が、真っ直ぐにアゼットの方向へ飛んでいく。
(このままでは村を巻き込んでしまう!)
 アルカスが思わずその行く手を眼で追うと、パシュゥ! 大きな音を立てて突然矢が砕け散った。
 一瞬、明かりを点したように周囲が照らされる。広場をドーム状に覆う黒い壁が見え、再び闇に溶けた。


「……あれか!」
 グラティスは音と光の方へと向きを変えた。


「これは、結界!?」
 どうやらこの広場には、魔族による結界が張られているらしい。
「そうか、さっきの違和感は……」
「へぇ、結界だって?」
 ちょうど広場へ駆け込んできたグラティスが、試しに小さな衝撃破を出してみる。パァン! やはりそれは壁に当たって粉々に砕け散った。
「ご丁寧なこった。この中なら、心置きなく戦えるってわけか」
 そう言って、改めて上級魔族へ向き直る。
「……しっかし何ともご大層な剣を持ってやがるぜ。さっきのマヤカシの銀髪といい……どうやらなかなか派手好きな御仁らしいな」
 呆れたような響きをにじませながら、グラティスは呟いた。


「見て! あれ何?」
 シェリはサジャの指す方を見下ろした。月明かりでぼんやりとだが、黒く丸い屋根のようなものが森の一部にかぶさっているのが見える。
「分かんねぇけど……あまり近付きたくないな」
 眉をひそめてそう答える。
「それに今、それどころじゃないだろ」
「……うん、そうね。とにかく今はできるだけ遠くに離れなくちゃ。……でも」
 サジャはそう言ってから、少し考え込むような仕草をした。
「何だよ?」
「うん……」
 シェリが尋ねると、彼女はあまり自信のなさそうな声で質問を返した。
「あのさ、シェリ。神殿のやつら、私たちのことを追ってきたんだと思う?」
「はぁ? そんなの当たり前だろ。あいつら俺たちを目の敵にしてんだから」
「それはそうなんだけどさ……」
 うーんと唸ってサジャは続けた。
「だけど、どうして私たちがあそこにいるのが分かったんだろ? 私たち、アゼットについてからまだ日も浅いでしょ? それに召喚魔法だって使ってないのに……」
「……言われてみればそうだな」
 シェリもつられたように首を傾げて唸った。
「そうなのよ。もし気付かれたとしても、村の位置から言ってどこかの神殿からの使者が着くには早すぎるわ。偶然近くに来ていたならともかく……」
 そこまで言って、サジャはぱちんと両手を合わせた。
「もしかしたら、あそこにはもともと他の召喚士も住んで……あっ! そうよ、きっとカルさんが召喚士なのよ!! だって彼、私たちの正体に気付いていたみたいだし。自分が捕まる危険を冒してまで私を逃がしてくれたのね……」
 興奮気味に続けるサジャにうんざりして、シェリは呟いた。
「いや、あいつは上級魔族だろ」
「……あんた、まだ言うの? それ、ありえないわよ。上級魔族と会って私たちが生きていられるわけが無いでしょ? 第一、あんなステキな人が魔族だなんてこと、あって許されることじゃ無いのよ!」
 耳にするのがすでに数度目となる根拠不明の理論に、シェリはただため息をつくばかりだった。


 ゼイルは、乱れた呼吸を整えながら夜空を見上げた。
 そこにはもう、二人を乗せた召喚獣の姿は見えない。
 ただ、月と星が静かな光を闇に向かって投げかけているだけだ。
(何だろう……)
 胸にじわりと形にならない物が広がって、消えた。
 いつかこうして、こんな風に夜空を見上げていたような気がする。
「……父さん」
 無意識に呟く。思い出せないのに、懐かしくて潰されそうだ。涙がこぼれそうになって、ゼイルはぶんぶんと首を振る。
「帰らなきゃ」
 ゼイルは振り返ると、もと来た道を辿り始めた。



 続く。2003/07/04

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